たとえ環境が変わろうが彼女の滞在中はとにかくあるがままで・・・・そのままで・・・・の日々でした。人間、本当はこれが一番大切なんだろうね。
初めて手にした念願のパスポート。しかしながら出生記録がどこにもなかった彼女。取得がかなり困難でした。そこでやっとパスポートを手にしたのがな、なんと日本出発の4日前。
最後の最後までヒヤヒヤもんでした・・・・・

生まれて初めてのエステ体験。あんまり気持ちがよかったのか、施術中ぐぅぐぅいびきをかいて爆睡してました。びっくりしたのは友人エステシャン。モリーンの肌があまりにもツルツルでとても驚いていましたっけ。

記念に着物を買ってあげようとお店に連れて行くやいなや・・・・片っ端から試着三昧。確固たる自分の好みをしっかり主張してました!

とにかく眠くなったらソファーからはみ出そうが・・・どこででも寝る!いいねぇ。自然体だねぇ。。。

日本までの長時間フライトで何から腰が痛いというので電気やへ行って最新マッサージ機に初挑戦。自動で機械が動くたびに叫び声を上げて店内を賑わせていました。

滞在中に日本語のレッスンも。自分の名前をまずはカタカナで。あと会話では「コンニィチィワァー」と「アルィグゥアトゥオー」を覚えました

とにかく眠ければたとえテーブルの上だろうがどこでも寝る砂漠の女王。いいねぇ。。。一度マネしてみたいねぇ。。。。

学校訪問しました。子供が大好きなモリーンは始終ハッピー!でご機嫌でした。もちろん子供たちも大興奮。いつか、オーストラリアへいらっしゃーーいって全員に声をかけていましたっけ。

モリーンの絵画はいつでもどこでも大人気。今回は各所でライブペインティングを実施しました。絵が描き終わるやいなや、価格も聞かずに購入される方が続出。さすがでありました。

毎日盛りだくさんだった日本滞在26日間。始終アテンドに明け暮れた私もたくさんのことを彼女から学習しました。滞在中の喧嘩は3回。ランチにオオトカゲが食べられないと彼女の機嫌が悪くなったことが原因のひとつでした。もしも砂漠でこの喧嘩をしたら私は間違いなく太ももを槍で刺されていたに違いありません。喧嘩が・・・日本で・・・あぁヨカッタ。


ギャラリー北野坂でのオーストラリア・アボリジニアート展は今年で5年目を迎えます。
その記念すべき企画展になんと8000キロ離れたオーストラリア中央砂漠からアボリジニの女性アーティストが初来日。見事な絵画制作の実演をぜひギャラリーでお楽しみください。
皆様の来場を心よりお待ちいたしております。
日時:
2011年11月1日(火)~6日(日)
11:00am~6:00pm(最終日は5:00pmまで)
場所:
ギャラリー北野坂 http://www7.ocn.ne.jp/~kitano/
神戸市中央区山本通1-7-17 WALL AVENUE 2F
JR/阪急/阪神三宮駅/地下鉄4番出口より山側へ徒歩10分(地図)
TEL/FAX 078-222-5517
ギャラリー北野坂 企画展開催5周年記念
”アボリジニ女性画家、モリーン・ナンパジンパ初来日!!!”
画家暦20年。広大なオーストラリアの大地をそのまま思い起こさせるような美しい作品を描きます。ギャラリーでは毎日ライブペインティングをお楽しみいただけますのでぜひお誘い合わせの上お越しください。


7月16日(土)より8月7日(日)まで、広島市中区のインテリアショップ、クラージュプラスでアボリジニアートフェアを開催します。
期間: 7月16日(土)~8月7日(日) 10:00am ~ 7:00pm
会場:クラージュプラス(広島市中央区)
アボリジニ文化を紹介するトークショー開催!
7月17日(日) 10:30~
予約制/定員30名
クラージュプラス
広島市中区西川口町7-7
TEL: 082-234-5333
http://www.courageplus.com/
大きな地図で見る
日本で大変なことが起こってしまいました。
震災5日目。毎日毎日各地での死亡・行方不明者の増え続ける数が報道されるのを耳にするたびに言葉にならない悲しみでいっぱいです。
皆様にはたくさんのご心配メールや、お見舞いのお電話を頂戴し心から御礼を申し上げます。すぐにご返事を差し上げたかったのですが茨城の我が家も被災したため昨日まで停電しており電源の確保がままならなりませんでした。
しかし何とか電気が通ってくれたおかげでこうしてメールができる環境になりました。有難いことです。
現在、水道はまだ通っておりません。
それでも家族全員の無事を確認できたこと、そして全壊は何とかまぬがれた
我が家で何とか生活ができることに感謝せずにはいられません。
3月11日。その日わたしは金沢から仕事を終えて、丁度東京駅に到着をしたその直後の地震でした。そのまま実家のある茨城へ高速バスで帰るつもりでしたので都内に宿は取っておらず、少し時間があるからと駅に直結している大丸デパートの大好きな食器売り場をふらちとのぞいていたそのとき。。。
足元が少しぐらぐらしている・・・・・あ、地震だ。でもすぐにおさまるだろう。
と、まったく緊張感のないまま食器売り場をうろうろしていたところ突然立っていられないほど大きな揺れに思わずその場にしゃがみ込んでしまいました。
同時に、食器棚から次々にガチャン、ガチャンという音を立ててお皿やグラスが落ちていく光景はまさに「恐怖感」でいっぱいでした。
おまけにそこは大丸の8階。揺れは一段と大きなものでした。
その後係員の迅速で的確な指示のもと、非常階段で全員店外へ非難。
8階から1階まで降りるのには混雑もあったせいか10分ぐらいかかった記憶があります。
その10分間、実に様々なことが頭の中をよぎりましたが意外と冷静沈着だったような気もします。
でも、大変なドラマが展開されたのはそこからでした。
突然大都会を襲った大地震直後。当然ながら交通は全面ストップ。あの東京が瞬時にして凍結しました。
すぐに家族に携帯から電話を試みるも、それがなかなか・・・・というかほとんど通じない。
みんな、イライラしながらも公衆電話を懸命に探しそこまで我先にと猛ダッシュ。
瞬く間に何百メートルもの長蛇の列が公衆電話にできました。
皆様。これだけ携帯電話が当たり前になった今の世の中・・・・
街のどこに公衆電話があるかご存知でしょうか。
ダッシュするなんて高校時代のバレー部以来。ということで、私は公衆電話には走らず(というか、走れず)近くのコンビニでポータブルの充電器と乾電池1パックを購入し何とか電源を一時的にも確保。最後に残っていたひとつを掴み取りました。
いったいこれからどうなるんだろう・・・
そんな不安を抱えながらもとにかくどこへも動けない状況でしばし呆然と立ち往生していました。これは私だけではなく東京駅周辺にいた何千人という人たちがみな同じであったことはいうまでもありません。
外はだんだんと暗くなって気温も一気に下がりました。
家族にやっと電話が通じたのはそれから何時間も経ってからのことでした。
が、まずは全員無事であるという確認に心の底からの安堵感を覚えたものです。
しかし、茨城県もまさか今回の震源地のひとつとなっていたとは。
近くにテレビもなかったため情報の入手が不可能でした。
電話による父親からの話では自宅の塀が見事に崩れ落ち、台所は割れた食器でめちゃめちゃ。玄関の大きな水槽ふたつも倒れ熱帯魚がみんな溢れかえったというではありませんか。
「早く家に帰りたい」
そう思っても何しろ交通手段がひとつもありません。
おまけに今晩泊まるところもありません。あの日は東京中のホテルすべてが
瞬く間に満室になったようです。
砂漠の熟女。野宿は慣れっこ・・・・
しかしそれはオーストラリアの中央砂漠での話です。
まさか大都会東京のど真ん中で野宿を体験するとは夢にも思っておりませんでした(笑)
でも、ほかに選択の余地はまったくなし。
おまけに、路上で途方に暮れている日本語のわからないたくさんの外国人たちが私の目の前でみなオロオロしているではありませんか。中にはあまりの恐怖で号泣している女性もいました。
もちろん、声をかけました。そして現在の状況を精一杯説明しました。そしてそれぞれのお国の家族へまずは無事だという知らせを入れるよう・・・かろうじで通話が可能だった私の携帯を貸して安心をしてもらいました。
来月の電話請求書が怖いこわい。
そんなこんなでやっとの思いで茨城の実家に帰れたのは地震発生の2日後。
現在は家族とともに暮らしています。
こんなときこそ前向きに気持ちを明るく持って・・と自分に言い聞かせてはいますがさすがに少しくたびれてきました。
地震によって起こった原発もいまや深刻な状況です。周りの知人たちにはすでに西へ避難している人たちがいます。
我が家はいまのところこのまま家に残ろうという方向でいますが今後どうなるかは正直言ってまだ頭がうまく動いてくれません。
まずは落ち着かなくちゃ・・・
しかしながら現実的に、身障者の兄やほとんど寝たきりの母を連れていったいどこまで避難できるのだろう・・・・・そんなことが頭をよぎっています。
大丈夫。大丈夫。
なるようになるだろう・・・なんて言ってる場合ではありませんが何とかしましょう。今日もこれから家族会議です。
新しいモノづくりに追われている今のニッポン。
しかしこうなってみると何て脆弱な文明に私たちは翻弄させられているんだろうと実感しました。
多少不便でも・・・・人間らしく生きていく必要があるはずだと、いま私たちはとても大きな学習を強いられているような気がします。
アボリジニの人たちの「地球が怒っている」という言葉を思い起こしました
どうか皆様、これからもわたしとこころをつなげていてください。
お願いします。
皆様とつながっていられると思えることが私はとてもうれしい。
長くなりましたがまずは無事のご報告まで。
ご自愛下さいませ。
2011年 3月17日
内田真弓 茨城自宅にて