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1997年、オレ様が初めてオーストラリア先住民アボリジニが住む中央砂漠のコミュニティを訪れた年である。早いものであれからもう10年だ。

今でこそ家族同様に付き合うアボリジニたちであるが、そこまでの熱い絆を結ぶまでに、それはそれは様々なドラマが繰り広げられたものだった。

当時、メルボルン市内のアボリジニ絵画を専門に取り扱うギャラリーで仕事をしていたオレ様だが、毎日毎日「明日こそは辞表を出そう。オレ様もうだめ。ああ、ギブアップ」。そんな情けないことばかりを考えていた。

当然のことながら画廊の仕事は絵画を販売すること。しかしオレ様だけがちっとも絵が売れない。どうやってもダメ。周りのベテランスタッフが、じゃんじゃかセールスしているのを横目でうらめしく眺めながら「絵が売れないのであればオレ様はこのギャラリーでは用なし人間。

いつお前はクビだとボスから宣告されるのだろうか」。毎日そんなくらーーーーいことばかりだけが頭をよぎる。そんなストレスで食欲に拍車がかかり、体重が一気に3kg増。オレ様、ますます暗くなる。

“アボリジニの絵画の真髄を学ぶことは彼らの深遠なる文化を真剣に学ぶこと”

自称努力家のオレ様が、毎日これでもかと読みあさっていたアボリジニについての専門書にそう書かれてあったのを目にしたときに、まさしく「おお。これだ!!!」と確信し、鏡に向かって意味のないガッツポーズをしてみる。意外とキマルもんである。

そう、絵が売れないのはオレ様自身がアボリジニについて、まだ何もわかっちゃいなかったから。なぜもっとそれに早く気づかなかったのだろう。こんなインチキセールスマンからお客様が絵画を買うわけがないではないか。

そこでオレ様、両手をあごにあてて15分ぐらい考える。

アボリジニの文化を学ぶには、自分が現地へ直接出掛ければよい。そしてアボリジニ達と一緒に生活をして、彼らから実際に文化を学べばいいんだ!!

久しぶりの名案に身体が震えた。・・・・が、その現地っていうのはいったいどこだっぺ? オレ様、戸惑うときは必ず茨城弁が登場する。・・・そんなことはまあ、どうでもいいっぺ。

オレ様が勤務をしていたギャラリーが専門に販売をしていたのは、オーストラリア中央砂漠のドットペインティング。ということは砂漠地帯に何らかの手段を使って、さっさともぐり込めば何とかなるのではないかと思ったが、じゃあいったいその手段とはいかように? どうやってそこへもぐり込む? そこがまるでどんなところなのか知識も情報も何もないこのオレ様が、果たして現場にたどり着けるものなのか?

答えはもちろん「NO」。いきなりしょっぱなから大きくつまずいたオレ様は、さっきのガッツポーズも一時取り消すことに。途端にふにゃふにゃヘナチョコ野郎になっちまったもんだった。

さて、今回はそんなオレ様のこれまでの体験を交えながら、読者のみなさんへ「アボリジニ村を訪れるには」の手引きを少しご紹介させていただきたいと思う。

というのもオレ様、あちこちで常にアボリジニの話をしているのだが、意外にも「私もアボリジニ村へ行きたい。ぜひ連れてって」という人がたくさんいるのに驚いているからなのだ。「あれまぁ。そうなの? へーー。どうして?」と顔はにこやかなオレ様だが、時には眉間にシワを寄せてキビシイご指摘もさせていただく。

まず、「あなたはどうしてアボリジニの村に行きたいのでしょう?」とお尋ねする。大抵の人たちは「そこへ行けば何か面白い出逢いがありそうで。狩りとかにも行けるんでしょう?」という明らかに好奇心のみの回答をされる。

まあ、それはそれでいいでしょうが、オレ様そういった人達は、まず一緒にお連れすることはないでしょうな。

ここでまずお話しておきたいのは、アボリジニの村は「観光地」でも何でもないのだから、オレ様が自らそこへ「観光客」を連れて行くわけにはいかないということ。つまりアボリジニから『何か』を学びたいとか、アボリジニの『世界観』のようなものを短期間で体験したいなんていう興味本位の理由で、アボリジニ村へ入るなんていう行為は、彼らにとって大変失礼なことなので、やめてちょうだいね…ということなのである。

しかしながら10年前、初めてアボリジニ村へ足を運ぼうとしていた当事のオレ様こそが、まさにこの「大変失礼なヤツ」だったのであった。

まず、アボリジニ村へ入るにはアボリジニの土地権を管理している政府機関に申請書を提出して、そこから許可が下りるのを待つのが原則だ。その申請書にはオレ様がいったいどこのだれ兵衛で、その村にどのような理由で入りたいのか、またそこに知り合いがいるのか? 滞在期間はどれぐらい?そこまではどのルートで(つまりどのような道のりでという意味)行き、運転する車種は何なのかまでの細かい記入を求められる。

おまけに時折、その政府機関はアボリジニ村からの正式な招待状まで要求してくる場合だってあるのだから、ますます厄介だ。

当然といえば当然なのだが、アボリジニ村はよほどのことがない限り、いきなり見ず知らずのよそ者に招待状なんて書くわけないから、早くももうここでどんづまり。

やっぱりやーめた! ってことになってもちっともおかしくはないのである。

しかしアボリジニの絵画が売れるようになるためには、どうしてもアボリジニ村へ入って文化を学ばなければならないと勝手な理想を抱いていたオレ様。一生懸命申請書を書いて、あっちこっちの未踏のアボリジニ居住区へ片っ端から出してみるが、返事は一通も来ない。はっきりと断られるのならまだしも、完全に無視をされてしまった。

しかし、よくよく考えてみると、オレ様にとってアボリジニ村へ入るという行為は確かに面白そうでたくさんの有益情報が得られるかもしれないが、アボリジニたちにとって怪しいアジア人のオレ様を受け入れることのメリットって、いったい何だろう?

おまけにアボリジニと暮らした『証拠写真』を撮って友人知人に見せびらかそうとカメラのフィルム(当時は今のようなデジカメなんてなかったのじゃ。時代を感じるのぉ・・・)までたくさん用意をしていたオレ様の非礼行為は、太ももを長老にヤリでブスリと刺されても、決しておかしくはなかったはずだ。

結局アボリジニ村へ入る手段がまるでなくなったオレ様。ほぼ諦めかけたときに、ひょんなことから一人の日本人歴史学者に出会う。彼はアボリジニの歴史を専門に研究している若い男性だった。

同じ日本人でアボリジニに携わっている人間には、そうそうオーストラリアで会うことはない。我々は一気に意気投合してすぐに友達になった。聞くところによるとその男性、数ヶ月前から定期的にアボリジニ村にリサーチのため、滞在をしているというではないか。

ああ。ああ。あああああ~~~~~。『思えば叶う』とはまさにこのことだ。

オレ様の心境を話してみたところ、なんと彼が次にアボリジニ村へ入るときに一緒に連れていってもらえることになったのである。ひゃっほ~~~~~い♪ ガッツポーズ復活! おまけに3段跳び蹴りまでやってみせちゃいます。

そこで何よりも家族を大事にするアボリジニの社会へ飛び込んでいくゆえ、オレ様はトノガタの実妹として、村のみんなに紹介されたことは記憶にまだ新しい。

5歳も年上であるオレ様が妹だなんて、あまりにもずーーずーーしーーーとは思ったが、それもまあよかろうよかろう。いっそのこと『姉さん女房』なんていかがかしらん・・・とトノガタに嫁入り前の自分を精一杯アピールしてみたが、返事もしてもらえなかったっけ。

ということで、こうしてめでたくオレ様の『初・アボリジニ村訪問』がその若いトノガタのおかげで無事実現し、決して『観光客』としてではなく、今後もずっと付き合って行きたいと心からそう思える仲間と出会えたことに感謝したい。

あれから10年。今は単独で彼らの村を定期的に訪れるようになり、狩りをすればアボリジニたちよりも大きな獲物を次々とゲット。そして儀式で踊ればほかの誰よりも見事なダンサーとして拍手喝采。

ああ、まだまだオレ様のアボリジニ熱はおさまらない。