内田真弓

オーストラリア・アボリジナル・アート・ コーディネーター
Art Space Land of Dreams 主催

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私とアボリジナルアートの出逢い

私の人生にこの“アボリジナルアート”が登場してあれよあれよという間にもう25年の月日が流れた。

生まれ故郷である茨城を離れ、気が付いてみると東京を出て日本を脱出し、いつの間にかオーストラリア先住民アボリジナルの人々とたくさんの時間を共有する人生を選択していた。

大企業に入社をし、念願の客室乗務員になったはもののその安定した職業を6年で終止符。あー、もったいない。将来はプロ野球の奥さんになれるかもしれないのに…と誰もにそう言われたが、“自分が本当にやりたいこと、自分が自分でいられる”居場所探し”の旅に出たくてスーツケースを2 つ抱えて渡米。もちろん知り合いなんておらず英語もしゃべれず、そんな中でのスタートだった。

アメリカへは一年間滞在。お金は無くなる一方だったのに体重は増えるばかりだった。その後はオーストラリアへ日本語教師として渡豪し、日本人がたった一人だけという小さな村の小学校に派遣され、7軒のホームステイをめぐりめぐった。 日本帰国直前に“雨宿り”がきっかけで飛び込んだメルボルン市内のアボリジナルアートを専門に扱うギャラリーで私の運命が大きく変わるとは当時誰が想像をしたものか。

ギャラリーのオーナーからその場で仕事をオファーされる。初の日本人スタッフとして採用されることになるわけだ。 長い長い人生の途上でまったく予期せぬ運命の訪れであった。しかし常に答えを出すのは自分自身。迷っていても結果は出ない。逆に思い切って具体的な行動を取ってみることで答えも具体的に出てくると自分に言い聞かせ、新たな第一歩を踏み出す決意を下した。拠点はメルボルンだ。

新しい空気の中で、新しい仲間と、新しい仕事をすることは当然だが楽しいことばかりではなかった。人並みにホームシックにもかかり、荷物まとめて日本へ帰ろうと泣きべそかいたことだって数知れず。それでも次第にアボリジナルの奥深い文化に魅了され、彼らの不思議な芸術に夢中になっていった。

学者でも美術評論家でもない素人の私がアボリジナルアートにここまで虜になるとは。心の中では何だかよくわからないけど確実な手応えのようなものを感じたのは今でもはっきり覚えている。

1997年に初めてアボリジナル居住区へ赴いた。そこは政府管轄のエリアなので訪問には必ず『許可証』が必要となる。観光客や一般人はやたらとむやみには入れない地域だ。 2週間ほどアボリジナル村へ滞在をし、炎天下と慣れない環境から瞬く間に結膜炎と下痢で泣かされた。

しかし、そこで観たもの体験したものはこれまで読んだどのアボリジナルの専門書にも書かれていなかったことばかり。背中に鳥肌が立つようなショックさえあった。

「また必ず訪れたい場所。そしてもっと長く滞在をしたい場所」 そこから私のフィールドワーク調査が始まる。 調査と言っても学者ではないので時間のあるときに居住区へ通ってアボリジナルの人々と生活を共にし、一緒に狩りに行き、絵画の真髄をとことん学んだりといったユニークな活動がたまらなく楽しくなった。

しかし日本の22倍もの面積を持つオーストラリア大陸。メルボルンの自宅から大陸中央のアボリジナル居住区までの移動には時間もお金も実にたくさんかかる。しかしそれでも“またすぐにでも行きたい”と思える “何か”が、まさに不思議な魅力と魔法がアボリジナル居住区にはあるのだと確信する。

現在はギャラリーを退職し自ら起業してフリーランスとしてアボリジナルアートの啓蒙に努めている。

展覧会の企画・作品の販売はもちろん大学でのアボリジナル講義、メディアのコーディネートとアボリジナルアートに関わることであれば何でも行う。これまでには居住区からそれはそれは数多くのアボリジナル画家を来日させた。

まさに愛と涙の日本滞在物語であった。 私の人生にこんなにもたくさんのエキサイティングを与えてくれているアボリジナルアート。まさに「これだ!」と心の根っこで感じたこの芸術と今後も深くまっすぐ関わっていたいと心から思っている。

ご紹介するアボリジナルアート作品について

ここでご紹介する作品はすべてオーストラリア中央砂漠のアボリジナルの居住区で暮らす人々が制作をされたオリジナルのものです。

主な地域としてアリススプリングスより西に550キロのキント-地方、同じく西に350キロのマウント・リービック地方、また北東に240キロのユトーピア地方、そして最近では南部の作品も加わりそれぞれピンタピ・ルリチャ・アマチャラ、ワルピリの言語を話す画家たちによってプロデュースされたものとなります。

作品は実際に現場まで足を運び、すべて一点ずつ購入してきました。

もともと「読む」「書く」といった文字を持たなかった無文字社会で暮らすアボリジナルの人々にとって「絵を描くこと」は芸術としてではなく、過酷な自然条件である砂漠で“生きるため”の知恵や情報、または先祖から伝承されてきた神話、そしてかけがいのない大地と自分とのつながりについての確認などを次の世代に伝達するための大切な手段でした。
1971年にアクリル絵の具とキャンバスが彼等に紹介されるまでは、大地の上に砂絵として、また自分たちの身体の上にボディペイントとして描いてきたのです。

一般に“アボリジナルアート”といってもこの広大なオーストラリアの異なった地域に住む、異なった言語集団、異なった作品のストーリーを所有する彼等の芸術スタイルは実に様々。ここではすべて中央砂漠の点描画を中心にご紹介いたします。

ご購入をご希望の方、または作者や作品の解説などさらに詳しい情報をご希望の方はその旨をお問合わせフォームよりお気軽にお問い合わせくださいませ。

作品にはすべてオリジナルである保証書をお付けいたします。
日本国内ではなかなか入手が困難である豪州先住民のオリジナル絵画にご興味のある方はぜひご一報ください。