願うことは行うこと その2
生まれて初めての海外旅行。確かオレ様が22歳のときだったと記憶する。当時はそれでもうぶでピチピチの航空関係者であったゆえ、飛行機に乗り慣れていたはものの、英語がおもしろいほどできなかったためにインターナショナルにはまるっきり飛ばしてもらえず、ずーーっとずーーーっと国内線勤務で、パスポートなど必要なくて、持っていなかった。
いやはや、それゆえに海を越えてどこか違う国へ飛び立つなんて、当時のオレ様にとってはとんでもない一大事だったとご理解いただきたい。
そもそも国際線を希望していたオレ様だったのに、なぜ会社から国内線に勤務を命じられたのか。それには大いなる理由があった。
その理由を、実は、数年前の伝言ネット紙面で、すでに暴露した記憶があるのだが、ここでまた、自分の恥部をさらけ出しちゃいましょうというオレ様の勇気と決意を、ぜひとも称えていただきたい。
思い起こせば20年前。それは短大を卒業予定であったオレ様が、航空会社に就職をしようと決め、まぁ人並みに就職活動なぞに精を出していた若かりし頃のことであった。
ご存知のとおり、航空会社の客室乗務員採用には、何回もの試験にパスをしなければならず、オレ様のときにも、ざっと5次試験まであったことはいうまでもない。合格までは当然のことながら、長い長い道のりだ。
それでも面接試験を次々に通過して、緊張も高まっている真っ只中、オレ様が受験した航空会社は何と、英会話のテストを、しかも抜き打ちで、2次試験に突然、行ったのである。
当時、英文科を専攻していたオレ様ではあったが、英語なんて日常使うものではなかったし、自分から積極的に英会話教室に行っていたわけでもなかったので、会話能力は“ゼロ”に等しいレベルであった。時折、家の近所の商店街の路上で、怪しい宝石を売っている外国人のあんちゃんたちに声をかけられて“はろー、はーわーゆー?”程度を繰り返して満足していたぐらい。
そんなオレ様に、自分の希望している会社に採用されるかどうかの重要な試験が抜き打ちで、しかも英語で行われるだなんて、こりゃ、気合も十分に入るというものである。最初は1分間だけ自己紹介をさせられた。たどたどしい英語ではあったが、オレ様、一生懸命前歯をむき出して笑顔をつくり、イメージアップにつとめた。だが、話した内容があまりにも低レベルだったのであろうか。
担当試験官のかっこいい金髪のトノガタは、大変申し訳なさそうな顔をして、オレ様への次の質問に「あなたの好きな食べ物は何ですか?」などという、完全に人を馬鹿にしたレベルの問いかけをしてきたではないか。天下の航空会社の試験ですよ。
おまけに、いくらなんでも、当時は英文科専攻のオレ様です。好きな食べ物ぐらい、英語で答えられなくてどうしますか。
といっても正直、心臓はバクバクドキドキ唸っている。だって、これでスチュワーデスの採用が決まるかどうか、まさに人生の分かれ道のような心境であったからね。
普通であれば自分の好きな食べ物は「アイ、ライク、アップル」とか「アイ、ライク、フィッシュ」とか答えるのが原則であろう。しかしながら緊張のド真ん中に陥っていたオレ様は、何を血迷ったものか、笑顔をいっぱいに浮かべて「アイ、アム、ヌードル!」と堂々と答えていたのであった。もちろん自分ではちっとも気付かずに。
一瞬のうちに試験会場が沈黙状態になった。そして、さっきのカッコいい金髪試験官が抱腹絶倒。本当に椅子から転げ落ちる寸前まで、身体を右に左によじって、笑い転げていたもんだ。よくわからないまま、オレ様もつられて大笑い。しかし、あとで自分がいったい何をしでかしたのかに気付いたとき、自分自身が天ぷらそばにでもなった気分だったのは間違いない。
お蔭様で、客室乗務員試験には無事合格したものの、こうして、オレ様が生涯国内線勤務であった理由が、あの抜き打ちテストにあったのが明らかだったことは言うまでもない。
あれから20年。今でこそ海外へ出かけることに、いちいち興奮することはなくなったオレ様だが、やはり初めて訪れたアメリカが、とんでもなく強烈で刺激的だった記憶は、まだ新しい。
さて、ここで、つい数ヶ月前に豪州の砂漠のド真ん中から、先住民アボリジニの女性画家と、その付き添いで遠路はるばる来日をした友人マークの「愛と涙の日本滞在物語」を引き続き、ご紹介させていただきたい。彼らにとっては、それこそ、生まれて初めて体験する海の向こうの異国である。
とくに今年36歳を迎える自称・砂漠の王様、マークの初来日は、アボリジニのおばちゃんたち以上に衝撃的だったようである。彼は生まれてこのかた、一歩もオーストラリアから出たことがない。これまで機会もなければ、興味もなかったゆえ、人生の3分の2をアボリジニ居住区で暮らしてる男性なのである。
マークはとにかく砂漠で暮らすことが好きでたまらず、あの広大な大自然とともに育ってきた、まさに正真正銘のブッシュマン。
オレ様は、これまで何度も砂漠でのエスコート役を依頼しているが、マークはアボリジニ達以上に大地を熟知し、道なき道を、まるで自分の家の庭で遊ぶかのように、颯爽と車を走らせる。途中、パンクしようが、野生のラクダを引いてしまおうが、そんなの屁とも思わず、ひたすら走り続ける恐ろしい男でもある。
ビールとタバコが3度のメシより好きだという彼は、日本のビールが大変気に入ったらしく、とにかく、どこへ行っても「ビール、ビール」とリクエスト。
「酒飲みに悪い奴はいないはず」と、言葉も通じない日本で、次々と飲み仲間を増やしていくその見事な技には、さすがに脱帽したものだ。
普段、自分が暮らすアボリジニ居住区から出かけるといえば、せいぜいアリススプリングスぐらいである。距離にして360km。そんな男が、このたび、生まれて初めてパスポートを持って、7,000kmも離れた日本へやってきたことはまさに一大事件。
JR の電車に乗せると「パスポートはどこで見せればいいんだ?」と真面目な顔での質問。いいね、いいね、やってくれるじゃん。いつも砂漠では、オレ様のことを「腰抜けジャパニーズめ」とからかうくせに、日本じゃ、完全にクロコダイルダンディー並みの挙動不審者。右に左に、始終キョロキョロ。
駅の自動販売機で缶コーヒーを飲ませたら、「馬のションベンよりまずい飲み物だ」と豪語。あんた、馬のオシッコ飲んだことあるのかね?
浅草では、巡回中の警察官に、突然、話しかけるマーク。「その制服カッコいいね。どこへ行ったら買えるんだい? オレが持ってきたオージーのフットボールシャツと交換しないか。おい、マユミ。これ、通訳しろ」と、オレ様のほうを見る。じょ、冗談でしょ。勤務中のおまわりさんに、そんなこと言えるかっつーの!
また、連日和食ばかりだったので、そろそろ肉が恋しくなったころだろうと、滞在3日目ぐらいに友人夫妻が焼肉屋に連れていってくれたのだが、あんなに薄くスライスした牛肉を、これまで目にしたことがなかったらしく、「これはベーコンだろ? とても肉とは思えない」の連発。
人間視覚から入る食事のイメージは、意外なほど大きいものだと妙に納得。
そう。そして自分を取り巻く環境で、人間の価値観も大きく変わるということも、オレ様自身の体験で、深く、深く、うなずける。
あのまま、ずっと英語に触れずに国内線勤務で空を飛んでいたら、オレ様が今、感じているような、満たされた人生を果たして味わえたであろうか。
英語という自分の言語以外の言葉を学んだことで、異なった文化を持つ人達と、こうして集うことができる喜びは、ひときわ大きい。
天ぷらそばでもいいではないか。それならば、特大大盛りの人生にしてみせようではないか。
よくよく考えれば、あの抜き打ち英語試験で、自分が天ぷらそばになれたおかげで、オレ様自身の海外志向が一層強くなったと断言できる。
自分の人生、良しも、悪しも、全部、自分の受け止め方次第。これは断言できますぞ。
マークは6日間の日本滞在をあとに、今は、また砂漠で王様となっていることであろう。後日電話をしたところ、「ジャパンは素晴らしかった。でも俺はまた砂漠に惚れ直した」と言う。いいことだ。
「日本ではたくさんの飲み仲間がマークの再来日を、すでに心待ちしているよ」。電話でそういうと、砂漠の王様、マジで、声が少し涙声になっていた。
次回は、ぜひともビール会社にスポンサーをお願いしようではないか。