幼少の頃から「少し変わっている」と言われ続けたオレ様だった。小学生時代はカーディガンを後ろ前に着て登校して先生に注意されていたし、休み時間も校庭でみんなと遊ぶより、ひとりでじーっと裏庭で飼っていたにわとりの観察をしているほうが楽しかった。

とにかく、人と同じことをするのがあまり好きではない子供だったのである。

そんな性格は大人になっても変わることなく、会社へ入ってからも「内田さんはおかしな人」と先輩・同僚・後輩達から言われ続けた。おかしいとは、決して頭がおかしいというわけではなく、きっと「ユニークな人」という意味なんだろうと、勝手に解釈していたのだが、果たしてどうだったのだろうか。

そんなオレ様。組織のなかでの自分がどうもうまく表現できず、入社後6年で退職。「会社の名前ではなく“内田真弓”という自分の名前で何かしたい」なあんて生意気なことを考え出した当時が26歳。そして日本脱出計画を念入りにスタートさせた。

現在41歳。あれやこれやと自分の人生ドラマをダイナミックに繰り広げながら、今はオーストラリアのメルボルン在住のオレ様。気付いてみると先住民アボリジニの人達と多くの時間を共有し、それこそたくさんのことを学習させてもらっている。

「自分が自分でいられる」心地良い場所を常に模索しながらも、時折、世間が当たり前とするリズムにうまく乗り切れなくなると、オレ様は中央砂漠のアボリジニ村へと足を運ぶ。断っておくがこれは決して「逃避」ではなく「自己探求の旅」のようなもの。

今年もそんな時期がやってきた。1年に1度だけ行われるアボリジニ女性の儀式への参加である。日本人代表、今年で堂々4度目の出場だ。

これまで10年以上も通い続けているアボリジニの居住区であるが、「オマエも儀式に参加をしてみないか?」と、初めて彼らからお誘いを受けたのが4年前。それまでは1度も声をかけられなかったし、自分からも「行きたい」とお願いすることはなかった。それほど、アボリジニの人達にとって、この儀式の重要性が大きいことをオレ様なりに理解していたからだ。

儀式の会場は毎年変わるのだが、今年は往路・復路ともそれぞれ200km未満ということで精神的にはかなり楽ちん。なんたって初めて参加した4年前は、片道1,500kmの運転を余儀なくされたんだもんね。行けども行けども景色が変わらぬ、このオーストラリアのバカでかい大陸を、心からうらめしく思ったものだった。

儀式の間は1週間以上も野宿するわけだから、運転で体力を早々に消耗させられたんじゃ、たまったもんじゃないのである。

これまでの人生の中でオレ様、「野宿」の経験まったくなかったわけではない。しかしそれは、川辺で魚釣りをしながらバーベキューを行い、大酒をかっくらって酔っ払って寝ちまいました、しかもテントの中でスヤスヤと…という「ナンチャッテ野宿」のみ。

もちろん今回は、それとは比較になるわけもない「真剣勝負そのもの野宿」。これは乾燥した灼熱の大地のど真ん中で、数百人のアボリジニ女性達と繰り広げられる、まさに自然との共生そのものなのである。

電気も水道もトイレもカラオケも何もない砂漠のど真ん中で、1日最低2回はシャワーを浴びるヘナチョコ文明人のオレ様が、1週間以上もどうやって暮らせるというのか?

今でこそ儀式が行われている間の食料と水は、ノーザンテリトリー政府がたくさんの人員を動員して供給してくれるが、こういった政府からのサポートが受けられるようになったのは、せいぜい10年前からだという。最寄の街から何百kmも離れている砂漠のど真ん中に、1週間以上もスタッフを常駐させ、莫大な量の食料・水を定期的にデリバリーしてくれる労力は、想像を絶するものであることをぜひご理解いただきたい。

食事は何も、政府から供給されたものだけを食べるわけではない。ご存知のとおり、アボリジニの人達はみな名ハンターなのである。早朝からすぐにトカゲ狩りに出掛ける女性達。とほほ…。そうなると朝食は、有無を言わさずトカゲですかい。おまけに午後はすかさずイモムシを捕まえに、オレ様の運転で砂漠の奥地へと向かう。うへーっ。カンニンしておくれよな。午後のおやつは、何もイモムシじゃなくてもよかろうが。

しかし狩りに同行しながら、オレ様はふと思った。

こうしてアボリジニの人達は遥か太古から狩りだけをして、採れたての動物や植物を採れたての瞬間、採れたてのまま口にしていたんだ、とても栄養価の高い健康的な食生活を営んでいたんだなーと。

それを考えると、今や加工品ばかりを食べている我々文明人は、実に不健康ではないか。

オレ様、最近はめっきり食べなくなったが、幼少の頃はインスタントラーメン好きで、朝から母親に「ラーメン作って」とせがんでいたことを、今でも鮮明に覚えている。しかも「メンマ、いっぱいね」なーんて注文までして。

-深く反省。

アボリジニの人達にとって狩りは、何も空腹を満たすだけの行為ではない。大地の表情をその都度確認しながら、きちんと対話しているのである。そして自分達との関わりを再度問い掛け、感謝する。これは、24時間コンビニエンスストアで、不自由なくサンドイッチが買える環境で暮らす我々にとって、理解するのは、ややむずしいかもしれない。しかし、白人によって入植・開拓される以前から、このオーストラリア大陸の大地というものを、「自分達が生き延びるためのすべてを生み出してくれている、とても重要な存在だ」と確信してきたアボリジニの人達にとっては、当然の行いなのであろう。

そしてオレ様が今、自分の目の前でそれを確認できることに、大きな大きな喜びを覚える。日本人代表、野宿ぐらいでヘこたれてる場合じゃねーぞ。

儀式についての具体的な内容は、残念ながらここで話すことはできないが、オレ様が今、断言できることは「アボリジニの文化はまだ確実に生きている」ということ。

大都市で暮らし、失業と貧困・アルコール中毒で苦しんでいるアボリジニ達だけが、何もオーストラリアのアボリジニではない。大学を卒業して弁護士になる人、スポーツで有名になって金メダルを獲得する人、儀式で大地と自分との関わりを確認しながら一晩中歌い続ける人、これらの人々すべてが今、我々と一緒に21 世紀を暮らすアボリジニ達なのである。

実に多種多様だということをご理解いただきたい。

1週間以上も続いた砂漠のど真ん中での女性の儀式。風呂に入れなくて死んだ人間がいるとは聞いたことがないし、頭がかゆいのも、もうどうでもいいやと思えるほど、疲労困憊していたオレ様ではあったが、さすがに最終日のフィナーレは緊張感いっぱいであった。髪・顔・肩・胸元・上半身すべてを赤茶色のオーカー(天然の岩絵の具)で彩られ、無事に儀式を終えたことを、参加者全員で大地にお礼をする。

そしてまっかっかのオーカー色の顔のまま、再び車に飛び乗って、クラクションをビービー鳴らしながら「また来年逢おう」と別れを告げて、それぞれが家路へと向かう。

今年は帰路200km。なんてことはない。すぐに居住区へ戻って、大好きなシャワーを存分に浴びた。しかし昨年は遠路だったために、道中オレ様は全身まっかっかのまま、小さなモーテルへチェックインしなければならなかった。

驚いてオレ様を見上げるフロントのおばちゃんに、まっかっかになっている理由を告げると、おばちゃん、ゲラゲラ笑いながら「アンタも変わってるねえ…」とひとこと。

オレ様、ここでも「変わり者」呼ばわりか。まあ、それもよかろう、我が人生。