昨年のシドニーオリンピックで一気に知名度を増したオーストラリアの先住民アボリジニ。しかし、いざ、彼らのアートとなるとなかなかイメージできる人は少ないのでは?そもそも、読む・書くといった「文字」を持たずに、何万年もの間この広いオーストラリア大陸を狩猟と採集のみで自由自在に駆け巡り、その大地とかかわる様々な「生きていくための知恵」を確実に次の世代に「文字」以外で伝承をしていった先住民。その伝達手段は「絵画」であったり「歌」や「踊り」であったりする。

それゆえ、アボリジニにとっての「絵画」とは我々の一般的な「絵画」の概念とは大きく異なるもので、単純に「これがアボリジニの絵画だよ」と言ってしまって「ふーーん」と妙に簡単に納得をしていただくわけにはいかなかったりするのである。

そもそも、砂漠で暮らすアボリジニ達が現在使用しているアクリル絵の具に出会ったのはわずか30年ばかリ前のこと。それまでは砂の上と自分達の身体の上に岩絵の具を用いて模様を描き、もちろんそれらは「保存」されることなく描かれてはすぐに消されていたために、我々がこれまで目にする機会などはまるでなかったのは当然である。

彼らが描く模様、一見ただの抽象的な記号のようにも見えるのであるが、それらは「文字」の代わりとなるビジュアルな地図であったり記録であったり、または法則であったりする。つまり、絵画の中の構図や形象は世代ごとに確実に伝承をされているもので、純粋な意味での彼らの創作ではないのである。これがアボリジナルアートのユニークさでもあるのだ。そう、彼らは自分のイマジネーションで絵画を描くわけではない。

また、そこに描かれている内容は彼ら以外の者には決して明かされることのないインサイド・ストーリーがほとんどで、我々に語られるのはそのほんの一部にすぎないのも事実だ。

彼らの繊細なその表現はもちろん「絵画」としての魅力を十分に備えているのであるが、果たしてこの記号だらけの、地図や文学にも近い作品達を「アート」と言ってよいものなのだろうか、と私はふと考える事もあるのだが、たとえアウトサイドストーリーしか我々が知り得なくても純粋に作品が放つ魅力に何度も心を打たれたことは間違いない。

そう、アボリジナルアートは確実に美術としての力を有している。

まずは、素直に直感を持って作品に向かい合っていただきたい。