アボリジ二女性画家バーバラ・ウィア初の日本滞在記・愛と涙の2週間(中編)
これまでにオーストラリア先住民・アボリジ二が日本を訪れたことは何度かあると聞いてはいた。・・・が、アボリジニ画家が来日するのはどうやら初めてのことらしい。早速日本のメディアにいくつか取り上げられ、私にもラジオ出演の依頼が来た。
何やら番組は人気のJ – WAVEということだが私はラジオをあまり聞かないのでいまひとつピンと来なかった。だが、もちろん快く引き受けることに。しかし多忙の為、スタジオには行けない旨を伝えると、何やら電話インタビューでかまわないという。なんだか面白そうだ。番組の打ち合わせはほとんどなし。「内田さんが感じるアボリジ二ナルアートの魅力を語って下さい。DJはジョン・カビラというプロの話し手ですから彼のリードに任せていればOKですよー。」・・・と、言われるままに本番がやってくる。
たかだか4分間のおしゃべりに心臓バクバク状態。喉を潤すためにとハチミツレモンを一気飲みした途端、自宅の電話がなった。あ、来た!担当者の言うとおり、相手はしゃべりのプロ。いやあー、早口でベラベラべラリンとこちらの緊張も省みず次々に質問してくる。「内田さんは、何故オーストラリアに行くことになったんですか。ワーキングホリデーですか。」と、まずしょっぱなから大きく私をつまずかせるジョン・カビラ氏。「オーホホホ。ワーキングホリデーっですか?、私ははるかに対象年齢オーバーでしたの。オーホホホホ。」・・・その後しばしの沈黙。
全国放送ラジオでしゃべりのプロが黙る瞬間。その後、ここぞとばかりに自分のアボリジニ熱を熱く語る私が、シャワー浴びたてで濡れた髪をバスタオルでグルグルとソフトクリーム巻きにしていたことなど誰にも気付かれることもなく全ては無事に終了した。
さて、肝心のアボリジニ女性画家バーバラは困ったことに見るもの触るものがすぐに欲しくなってしまう悪いクセがあり、姉の靴を平気で履いて帰ってきてしまったり友人宅の応接セットのカバーまでもらってきたりと帰りの彼女のスーツケースは滞在中にみんなからもらったものだらけで溢れかえっていたことは言うまでもない。
おまけに彼女は日本滞在2週間に備えて財布(らしきもの)を持参しては来たが、中身はスーパーのレシートしか入っていなかった。いいですよ。全て面倒見ますよ。見りゃいいんでしょが・・と、半分やけっぱちにもなりたくなる。滞在中の食事代・ホテル代・電車代・お土産代・毎日オーストラリアの家族にかけた電話代・など総額したらとても恐ろしくて一気に言葉も失う。私は自分のわずかな貯金の残高をながめては、しばし大きなため息ついていた。
東京は何しろやたらと移動が多い街だ。地下鉄・JRといった具合に目的地まで2つも3つも電車を乗り換える。エスカレーターの前でたじろぐバーバラ。彼女は怖くて乗れないと涙ぐむ。じゃあ、階段で行きましょうか・・・と滞在中いったい私とバーバラは何百段の階段を昇ったことか。おかげ様で体重3キロ減。(ダイエットされてる皆様方。ぜひとも日本にアボリジニを連れて行くことをお勧めします。)
日本の秋といったらまさに紅葉。東京のコンクリートジャングルに全く興味を示さないバーバラにぜひとも日本の美しい山々・そして温泉を存分に味わってもらおうと、栃木県の湯西川温泉に向かった。想像通りの色とりどりの山々にバーバラは本当に息をのんで瞳を大きく輝かせ、心から楽しそうに笑った。また、山中のまっすぐに生えた木を見ては「これはスピア(槍)を作るのに丁度いい」とかなり本気で言って私たちを笑わせた。
宿に着いて「さあ、食事の前にまずひと風呂浴びようよ。バーバラ、温泉なんて初めてでしょう。露天風呂もあるし眺めが最高だよ。早く行こう!」と言いうと、私の顔をじっと見て急にモジモジし始める。水着を持って来るのを忘れた・・・と本当に恥ずかしそうに言い出す彼女。見ず知らずの人同志がスッポンポンでお風呂に入るという行為はどうしても信じられず、だから自分は絶対に裸では入らないと言い張る頑固なバーバラ。「何よ、砂漠のアボリジニ村では儀式でみんな裸で踊るじゃないの。私にもそうさせたじゃないの。ここは日本なんだから皆と同じようにしなくちゃ駄目なの。」 と、私も負けずに主張するが本当に嫌なものはイヤだという顔をした彼女はひとりで部屋に付いているお風呂にゆっくり入って大満足の様子だった。初めて着る浴衣・初めて寝る布団・初めて取る囲炉裏での食事に彼女はもうこれ以上楽しいことはないとしきりに言いながら、「今自分が日本で過ごしているこの楽しい時間をオーストラリアの家族に伝えたい」とまた私の携帯電話をカバンからゴソゴソ取り出したことは言うまでもない。
また、魚を一切食べない彼女の口癖は「私は砂漠の人間だから。」ということ。滞在中注文するのは必ず”MEET”。しかも、もう真っ黒に焦げた肉でないとご機嫌ななめ。私は幾度となくレストランの厨房に「すみません、お手数ですがもうちょっと焼いてもらっていただいても・・・」と頭を下げた。2週間の滞在中に彼女が一番恋しくなった食べ物が”カンガルー”。これは私が旅先で永谷園のお茶漬け海苔が無性に食べたくなるのと同じなんだろうな。というわけでバーバラの好物”カンガルー”、こればかりはどうしても日本のスーパーでは見付からなかった。
日本滞在中、バーバラは行くところどこでも注目の的であり、スター的存在だった。幼いころ、当時のオーストラリア政策によって無理やり母親から引き離され強制的に白人社会で生活を強いられ、数年前までは自分たちアボリジニはレストランにも入れなかったという経験をもつ彼女が、現在オーストラリアを代表するアボリジニ画家として日本に招かれたこと、そして自分がいま大きく胸を張って「アボリジニ」であることを主張できる時代にようやくなってきたということをしみじみと語る彼女の言葉に、私はまさに「今を生きるアボリジニ」の強さを感じてならなかった。
オーストラリアからはるばる日本にやって来た先住民アボリジ二に会うためにそれこそ遥か北海道からわざわざいらして下さった15人のアイヌの方々との熱いふれあいを次号でぜひともお知らせしたいと思う。