未知なる不安をいっぱいに抱えて初めてオーストラリア中央砂漠のアボリジニ居住区に足を運んでからもうかれこれ6年の月日が経つ。当初友人でもある歴史学者に懇願し、彼の妹として(・・・年上の私が妹だなんていうのは何とも図々しい話なのであるが、アボリジニ社会での複雑な家族制度ではまあよかろう。。。ということになった。)滞在したアボリジニ村では言われるがままにゴミの山の上で眠ったり、毛の抜けたダニだらけの目が完全に”イッっちゃってる”犬たちとも仲良く遊んだ。それから数日後、もうこのまま治らないのではないかと思うほどの結膜炎にかかり片目がメヤニでしばらくつぶれていたことは言うまでもない。「・・・すごいところに来ちゃったみたい。」というのが正直な私の印象であった。しかし、私の”アボリジニ熱”がますます高まったのは実はそれからといってもよいだろう。それ以後は独りで車を走らせ、またある時には同行人を共にして”住み込み調査”を幾度となく繰り返すためにアボリジニ村へと向かった。

「・・・ねえ、ねえ。今度一緒にアボリジニ村に連れてってもらいたいんだけど。」そんな発言をしたのはメルボルンで私がこのうえなく親しくしているS子。「そうだね。いつかね。」とこれまで何度となく言葉をにごしてうまくごまかしていた私。「ねえ、ねえ。今度いつ行くの?わたし、ホントに行きたいんだけど。」目がいつも以上に真剣なS子。「え、マジで行くつもり。でもね、行くとなったらああでこうでこうなるかもしれないけどそれでも大丈夫なの?」とアボリジニ村行きをちょっと脅かしてみる私。しかし、「うん、ぜ~んぜん大丈夫。」と自信満々のS子。「・・・よし、それなら具体的にプランを立てようか。」ということになり我々の砂漠行きがあっという間に決行となった。「ねえ、ねえ、実はさ。この砂漠行きの話を同僚のTOMにしたらぜひ一緒に行きたいっていうのよ。彼、男だけど連れて行ってもいい?」とS子。「え?男?大歓迎だよ。荷物持ちに丁度いい。よし、じゃあ3人でアボリジニ村に行こう・・」と計画を立て始めたころなんともう一名参加希望の勇士が出た。大学でコンピューターサイエンスを勉強しているという友人A里。「ようし、もうこうなったらみんな一緒に連れて行っちまえ。レンタカー代が安くすんでいいや。もうみんな大人だし何かあっても自分の責任だからね、ね、ね。」と、かなり安易な返答をしながらもやや心配ではあるインチキコーディネーターをかってでたこの私。怪我や病気をさせたら大変だ。しかしながらこうして我々4人のアボリジニ村訪問が具体化するまでに時間はかからなかった。

2002年9月21日。これからまるまる一週間は寝食を共にするという仲間たちとはアリススプリングス空港で合流することにした。メルボルンからみな一緒に行かないところが大人である。

インチキコーディネーターは2日間ほど前にアリススプリングスに先回りしてちょっと自分の仕事をやっつけてから旅の準備を。いや、準備といっても砂漠が詳しく書かれている大きな地図の購入とレンタカーの手配のみ。後は現地の人間へのコンタクトだ。

さていよいよ出発の当日。アリススプリングス空港へ先に到着したA里とは初対面であるS子・TOM。空港でそれぞれの自己紹介からこの旅は始まった。用意しておいたレンタカーに荷物を積み込みひとまず街へ出てこれから砂漠での3日間分の食料を調達することに。「ほんとに、みんなちゃんと考えて買ってんの。こんなに誰が食うの。買いすぎじゃない?」と、やや怪訝そうな表情のTOM。これだから男は困るのよねーと1対3で女子チームの勝ち。さっさと山盛りのワゴンを押して頂戴ってば。とTOMの意見などまるで聞いちゃいない。

さあ、買い物も無事に済んでこれからいよいよ出発だ。最初の運転は私がしよう。・・と意気込んだインチキコーディネーターは早くも道を間違えすぐに交代。続いてS子の運転に。同乗者を3人も乗せていながら、ひたすらまっすぐな道をビュンビュン飛ばすS子。尋常じゃない。「うぉ~。すっげぇー。砂漠だよ、砂漠。ホントに何にもねえよ。」・・と景色を見て感動に浸るフリをするが、すぐに居眠りをするTOM。そんな中でも「えーと、次はCD何聴こうかなあ。」と冷静に選曲をしているA里。インチキコーディネーターはもうどうなってもいいやと半分やけっぱちで到着時間を気にしながら現地までの道のりを一緒に楽しんだ。

出発から数時間後、タイヤのパンクもなくカンガルーをひき殺すことなく無事にマウント・リービックに到着。今回、我々にとっての最高の想い出の地となったマウント・リービックはアリススプリングスから西に400kmほど走らせたアボリジニ居住区。総勢300人ほどのアボリジニと12名の白人で運営されている村である。ここにもうかれこれ16年もずっと住んでいるという白人女性・グラニスおばちゃんと親しくなったことから私もこれまでに何度もこの居住区へは足を運んではアボリジニたちとの共同生活を堪能した。だから、村にも知り合いがすでに何人かいた。面識のない見ず知らずの人間をアボリジニたちは敬遠しがちだといつか本で読んだことがあったがそんなことはまるでない(と思われる)このマウント・リービックの温かい人々。実は今回の滞在でもアボリジニ達から「私はオマエの息子になる。そしてアンタはシスター。だからその靴と腕時計をわしらに置いていけ。」と理解に苦しむ歓迎を受けたりした。

私も1年半ぶりの訪問に胸の鼓動が高まる。懐かしい。うれしい。また来たよ。まずは居住区内をゆっくり車で廻ってみよう。誰か知り合いはいないもんか。いれば話がずっと早いんだけど。何度も足を運んでいるマウント・リービックだが毎回同じメンバーが滞在しているとは限らないのである。何しろ複雑な家族構成を持っているアボリジニの社会では東に 700キロ離れた村で家族の誰かの葬式があるとみんな一斉にそこへ移動をしたりするのが当然なのである。・・・と、そのときひとりの痩せた大きな瞳の女性が私の視界に入った。「あ、ナプラーだ!!」すると彼女も見慣れない車を見つけて素早く近づいてきた。「今日、オマエたちが来ることはグラニスから聴いて知ってたよ。また会えてうれしいよ。」とアボリジニ社会では滅多にすることのない大きな抱擁を私はナプラーと交わした。
 

本来アボリジニ村にはホテルなどという宿泊施設はまるでない。したがってこれまでは私も野宿やキャンプ・車の中での宿泊を幾度か経験した。大空のもとで用を足す瞬間といったらたまらない開放感である。誰かに見られてはいないかと周りをキョロキョロするあの緊張感も言葉ではうまく説明できないほどの興奮だ。さて、そんな我々の今回の滞在先は野宿でもキャンプでも車中でもなくグラニスおばちゃん宅であった。しかしながら肝心のグラニスおばちゃんは私用でシドニーへ行っているとのことで生憎の留守。その代わり空いている部屋でよければそこを使っていいわよという快いオファーをすぐに飲み込んで我々はそれぞれの寝袋を抱えてそこに3泊4日お世話になることに。

「ねえ、ナプラー・・。突然だけど今回はスペシャルビジターを一緒に連れて来ているの。どこかへ狩りとか行けるかなあ。」すると「ハニー・アンツ《蜜アリ》ハンティングに連れて行ける。」と即答するナプラーに内心「やった!」と喜ぶ私以上に同行のスペシャルゲストたちの顔はみな微笑んでいた。到着早々にアボリジニ達と一緒に狩りに行けるだなんてなんと強運の持ち主たちだろう。そんな強運の持ち主たちとの『アボリジニ村珍道滞在記4日間』

紙面上には書ききれないことばかりのイベントだらけの毎日。従ってこの続きは後編でゆっくりとご紹介しよう。