茨城で生まれ育った私は18歳でその地を離れ、その後日本を離れ、気が付くとオーストラリアで先住民アボリジニの人々と暮らす体験を得ていた。真夏は50 度以上も気温が上がる砂漠で干し上がり、雨季の時期には豪雨で道をふさがれ車が立ち往生した。行き交う人もいない中で路頭に迷い本気で遺書を書こうと思ったことだってある。それでも私は数々の狩りや儀式に参加をする中で、アボリジニ文化の深遠さを自分なりにたくさん、たくさん学んできた。

まず『アボリジニは現代人である』という当たり前の定義からお話をしていこう。これは友人・知人たちから私が常に言われることなのだが「あなたは”本物のアボリジニ”を知っているんでしょう? すごいわあ。彼らはどんな人たちなの?」という問い掛けに私は非常に大きな戸惑いを覚えるのである。”本物のアボリジニ”とは一体誰だ? ”ニセモノのアボリジニ”はじゃあどこにいる?

オーストラリアのアウトバックを旅していて辺境地帯のブッシュで暮らすアボリジニに出会うということは決して『原始人』に出会うことではないのはご存知であろう。当然のことながら原始人は原始の時代にしか生きていないのだから。そう、だから彼らは21世紀を我々とともに共有している紛れもない『現代人』なのである。

現代人アボリジニは実に多様性のある暮らし方をているのだ。大学を卒業してビジネスを始めるアボリジニ、失業やアルコール中毒に苦しむアボリジニ、先住民族の権利回復運動にとても熱心なアボリジニ、4WDとライフルを駆使してカンガルーを狩猟するアボリジニ、先日私が参加をしたような伝統的な儀式の中で夜明けまでひたすら歌い踊り続けるアボリジニ、そして現代美術としてもはや世界中から注目を浴びるアボリジニアートを制作するアボリジニ、彼らはすべてオーストラリア各地で今現在を生きているそれぞれのアボリジニの姿であり、これが現代人アボリジニの多様性なのである。

今回はその中の1人、私の10年来の友人でもあるアボリジニ画家・ガブリエラポッサムをご紹介させていただこう。彼女は今やとても著名な画家となりこれまでにも海外の展覧会に幾度も招待され、ニューヨーク・ロンドン・シンガポール・香港と世界をまたに掛けて活躍するアボリジニアーティストである。

そんな彼女が現在我が家に居候中。どうしてこうなっちゃったのかが実は私も今一つはっきりしないのだが、気が付くと彼女は我が家に当然のように滞在をしていた。こちらが「出て行ってちょうだい」と言わない限りこのままあと2~3年は居そうな様子だ。

ことの始まりは1本の彼女の電話からだった。深夜、私がすでにベットに入って読書をしていたところ泣きながら(←私にはそう聞こえた)ガブリエラが電話をしてきた。こちらが驚いて理由を聞くとなにやら旦那とけんかをして家を追い出されたというではないか。行くところがどこもないという。う~む…。ホントの話かな…。申し訳ないがそんな猜疑心が一瞬でも私を襲う。

それもそうだ。一体これで何度目だろう。これまで彼女からの同じようなSOS を安易に受け入れ、こちらも本気で助けようと身体を張った矢先にいきなり失踪しちゃう我が友人ガブリエラ。おまけについ数日前にも街で彼女と私は待ち合わせをしたのだが、待ち合わせの時間を彼女から”ランチタイムね”と指定されたので私も”うん、わかった。じゃあランチタイムね”と確認の返事をしてその当日、私なりに理解する”ランチタイム”に約束の場所へ出掛けていったのだが、アボリジニの彼女が考える”ランチタイム”が私の把握していた”ランチタイム “ではなかったらしく、結局2時間ずっと待ったが彼女は姿を現さなかった。彼女のその日の”ランチタイム”はいったい何時だったのかいまだ解明できておらず。まあ、そんなやりとりは過去10年間数え切れないほどあったのだし、その間3年ぐらい彼女は失踪して誰も行方がわからなかったこともあったのであまり深く考えないことにしたい。

そんな彼女が我が家に電話をして再び助けを求めてきた。よし、よかろう。来るなら来い。ドーンとこのオレ様の胸にまた飛び込んで来るがいい…と、ガブリエラに英語でこれを何と言ったかあまり記憶にないが、彼女は私が承諾したことをとても喜んで自分の洋服がぐちゃぐちゃに詰まった大きなバックを一つ抱えて、我が家へやって来ることに。

かれこれ彼女との共同生活もすでに今日で5日目を迎えるが、とても家を追い出されて悲しみに明け暮れている女性には見えないほどガブリエラは毎日食欲旺盛だ。一日5食。見事な食べっぷりだ。トイレにも日に10 回は行く。我が家のトイレットペーパーが一日に2ロールずつ見事になくなっていくのだ。一人暮らしの私にはまるで考え難い現状だがひとまず文句は言わず黙ってそこら中に散らばったトイレの芯を拾い集める。

心優しいオレ様は気晴らしにドライブにでも行こうかと誘ってみるがあまり乗り気ではないようだ。じゃあ彼女は一日中我が家でいったい何をしているかというとオーストラリア中にいる自分の家族に(アボリジニの親族制度はとても複雑。あっちにもこっちにもそこにもここにも家族がいっぱい)片っ端から電話をして自分の居場所や心情を訴える。もちろんオレ様の家の電話を使ってだ(大粒の涙)。

水道出しっぱなし、冷蔵庫開けっ放し、それをいちいち注意しながら真夜中にステーキをジュウ、ジュウっと彼女のために音を立てて焼く私の身も案じていただきたい(砂漠のオンナは魚は食べない。肉、肉、とにかく肉さえあれば彼女はHAPPY)。

自分の家でありながら私はすでに疲労困憊、ヘトヘトである。彼女の後を追っかけまわしては随時最終確認。夜は夜でゴジラの襲撃のようないびきのせいで私は睡眠を妨害される。目覚める時間は彼女の”ランチタイム”だ。時には朝の7時だったり、時にはお昼の1時過ぎだったり。とほほほほほ。

本来狩猟採集民である流浪の民・アボリジニは一定の場所に長期間いることはないと言われていたが彼女はどうだろう。

ガブリエラは私と同じ歳ですでに5人の子持ち。ほらはたまに吹くが苦労人である。熟女同志、人生について語ることはたくさんあるゆえ、しばらく彼女との共同生活を楽しんでみようと好奇心旺盛な私は今日もトイレットペーパーをこれでもかというほど買い占めて分厚いステーキを冷凍保存し”来るなら来い!”の体制でのぞんでいる。