砂漠のテレビ出演その2
これまで周りの友人や知人たちから「アボリジニ達と一緒に砂漠で暮らすなんて、よくやるよね。何でそんなに頑張ちゃってんの?どこからそのエネルギーが出てくるのか教えて」とやや答えにくい質問を受けたことがあったが、私自身、昔からコンプレックスの塊で、結構人様のいないところではうじうじめそめそが大得意。いつもがんばっているわけでは決してない。自宅で号泣することもあれば、居留守を使って誰とも話をしたくないほど落ち込むことだってある。しかし本来、カッコつけマンの私であるからしてそれをいかに見せずして”ふふふん。わたし、毎日とっても充実してるんですぅぅぅ~~」みたいな空気をかもし出して上手に演じる仮面オンナゆえ、なかなか本性を表に見せることがない。悲しい性分かもしれない。
そんな私が唯一、分厚い仮面を堂々とはずせる場所が砂漠のアボリジニ村なのである。そこは建前やお世辞が一切通用しない社会。怒るときはみんな顔を真っ赤にして怒鳴り散らすし、大の大人でさえ悲しいときは人前でも大声で泣きわめく。それを回りにいる人間たちはみんなまっすぐに受け止める。だからアボリジニたちとは一緒に居てとても安心できるのだ。
日本からテレビ出演の話が持ち込まれた。豪州先住民文化とその芸術に魅せられた怪しい邦人女性をドキュメンタリーにて番組にしたいとのこと。事前に担当ディレクターと念入りにブリーフィングを行った末、撮影を承諾して丸々6日間密着取材を受けることになったのである。密着取材とは、とにかくいつも自分の背後にでっかいテレビカメラがくっついてきて、大口開けてアクビをしているところとか、お尻をポリポリ掻いていてるところとか、全部知らぬ間に撮られてしまうのである。 おまけに始終、高感度のマイクを洋服に付けられていているもんだから、トイレに行ったときにうっかりスイッチをオフにし忘れて私のオシッコする音が相手に聞こえてしまったときには、天井からロープを吊るしてこのまま今すぐ世を去りたい気分になった。本当の話である。
撮影されるシーンは実に様々。私自身が日常行っている生活の様子をいくつものパターンに分けて段取られたのだが、まずは本業であるアボリジニアートの販売風景。現在は自宅をギャラリー兼にしているゆえ、そこへいかにも絵画を購入してくださりそうなお客様を1人招いて私の悪徳ディーラーぶりをたっぷりご披露。しかしそのレクチャーの最中に、アボリジニがこれまで非人道的に暴力的な迫害を受けてきたな歴史を話しているうちに、私としたことがつい感極まって涙してしまった。これで主演女優賞獲得は間違いあるまいと確信した。
そしてお次はメルボルン日本人学校で生徒さんたちへのアボリジニ講義風景。突然の撮影依頼であったにも関わらず、校長先生をはじめ担当の先生方の多大な協力を得て(本当にお世話になりました。心から感謝を申し上げます)、4~6年生を対象としたスライドを使ったレクチャーは大変好評であった。
自宅での夕食シーンでは私の最も好きな”うどん”を作ることになった。どういうわけだかディレクターより「内田さん。できるだけ寂しそうに一人で食べてください」とのリクエスト。”そりゃー、独り暮らしなんだから一人で食べるわなー…”そう思いながらも「はい」。そう答えた私は一人ぼっちでリビングに体育の座り方をしながら、悲壮感たっぷり漂わせて自家製うどんをすすったのであった。女優業もなかなか大変である。
そんなこんなしながらも、撮影のメインはやはり砂漠のアボリジニ村である。私はいつも自分が”住み込み調査”をするために通っているノーザンテリトリー州のマウントリービックというアボリジニ居住区へテレビ撮影隊をお連れすることにした。…が、実はここからがドラマの始まり始まり。
何しろその時期砂漠地帯は16ヶ月ぶりの豪雨に見舞われあっちこっちが水浸し。アボリジニ居住区への道のりは未舗装道路なのでそこらじゅうがまるで川状態。アウトバックを旅された皆様には、これがどれだけ恐ろしい事体なのかがご理解いただけるであろう。とにかく大型四駆のタイヤがほどんと水で埋もれてしまうほどの困難な走行であったのだ。そして目の前にはピカピカ光る稲妻が大地を一面に照らし、それはそれは美しいこと。…なんていって感動している場合じゃない。ハンドルをあっちこっちに取られながら、時速やっと20kmでジャブジャブ、ブグブグといった鈍い音を発しながら、通常4時間で到着するアボリジニ村へ我々は何と8時間以上もかけて、それこそやっとの思いでたどり着いたのである。8時間も車の密室に居て、あたりは電球一つない真っ暗闇、しかも嵐で雨風ぴゅ-ぴゅー。途中でオシッコしたくてもとてもじゃないがドアを開けられる状態ではない。同乗者は次第に口数が少なくなってくる。よし、ここで主演女優が何か気の利いたセリフを発しなければ。咄嗟に思いついたのが早口言葉。「みなさん。さあ元気を出しましょう。到着まであとたったの300キロです。ここで早口言葉なんていかがです? 皆さん声を揃えて、いち、にの、さん、はいっ。”木こりごりごり木を切りに。木こりの子供も木を切りに。のこぎりの音、ごりごり。木をごりごり”。
私は担当ディレクターと同じ車であったのだが、あまりの彼の反応の悪さにいつ主演女優の座を下ろされてもおかしくないと、すぐにその場の空気を察知した。到着時刻は午前0時を軽く回っていた…がみんな当然ハラペコだったので、私はそれから撮影隊6名分の分厚いTボーンステーキをじゅうじゅう音を立てて心を込めて焼いて見せた。お手柄だった。食事でいかようにも人を操れることがあらためて認識できた。これでさっきの白けた早口言葉大会も帳消しにちがいない。
翌日からすぐにアボリジニ村での撮影開始となった。せっかくだからぜひとも狩りのシーンを撮ってもらおうと、私はいつもイモムシ狩りに同行するメンバーに全員集合をかけ、あと30分後に出発だからと念を押したがみんなが集まったのは2時間後だった。まあこれはアボリジニ村では常日頃起こること。私は慣れっこだがやきもきしたのは撮影隊。そんな彼らをなだめながら我々は車3台でアボリジニのおばちゃんたちの誘導のもとブッシュへの狩りへと向かったのであった。陽がガンガン照り付ける中、裸足の女王たちは一斉に目的の場所へと足を運ぶ。ハエがブンブン飛び回っていた。今日は何匹飲み込むだろう…そんなことをぼんやり考えながら、私も彼女たちにおいて行かれないよう早足でくっついて行った。
「内田さんもイモムシ食べますよね。それ、カメラ入ります」とディレクター。「いえ、今日はカンガルーのしっぽをかじります」と私も間髪入れずに返答。「じゃあ、両方いっぺんにやりましょう」。
こうして私が大口開けてイモムシとカンガルーのしっぽをさもうまそうに丸かじりしているシーンが見事に日本のお茶の間で放送されることになったことは言うまでもない。
見渡す限り、ため息出るほど広大なオーストラリア中央砂漠。地図もサインも何もないこの乾燥地帯で先住民アボリジニたちは自由自在に食料を求めて、5万年という長い年月を自然のサイクルに見事に調和しながら生きてきた、いわば”この地球上に最後まで生き残れる能力を持った人たち”なのだと私は皆様にお伝えしたい。
そして今”アボリジニアート”という芸術を通して、世界中のあちこちで展覧会が開催され、ますます注目を浴びる中、ようやく自分たちが “アボリジニ”であることを堂々と名乗れるようになった時代がやってきた。その手伝いを微力ながらも私自身が関わっていけることがただただ純粋に嬉しい。
テレビの放映は読売テレビの「世界のどこかで」(21:55~22:00)というタイトルで11月27日(日曜日)を初回スタートに毎週日曜日、5週間に渡っての番組となる。生憎と関西地方のみの放映らしいが、機会があればぜひご覧いただきたいと思う。