独立起業宣言その後
2000年10月に一大決心の独立。気持ち新たに胸はずませながら自宅にオフィスを構え、名刺を作り、銀行口座まで開設した。これでいつでもどれだけの大金が振り込まれてもオッケー!なのだ。共同経営者はナシ。よって私が代表取締役となる。社員もひとりもいない。孤独だ。気分転換にと近所へ散歩に出掛けるが、寒くて10分で帰ってきてしまう。そんな感じだった独立起業直後。
今年4月からは日本で行われているアボリジナルアート展覧会開催のために日本とメルボルンを往復する生活が続いている。日本での滞在はオープニングでの通訳から展示作品のチェックから展覧会全般のコーディネートからあれもこれもとそれは忙しく、毎日たくさんの新しい人々に出会う。そしてまるで手裏剣のように名刺を配りまくり、声を2トーンほど上げてのビジネストークで起業設立の宣言をしている。
その甲斐あって「あの画廊の人の紹介でこの人に会って、この人にあっちへ行けと言われたから本日こちらに参りました・・・」なんてことを東京滞在中ずっとしていて「明日、銀座のホテルで画廊主催のパーティーがあるんだけどキミも良かったら来る?」なんてお声も掛かったりする。”画廊主催のパーティなんてどんな人達が来るんだろう?”そんな期待に胸を膨らませ当日は名刺入れに入りきれないほどの名刺を用意し、いつもの馬鹿笑いだけは絶対にしまいと決意しながら、パーティーに着ていく洋服を慎重に選んだ。化粧も念入りにし、滞在しているホテルの部屋の姿見の前でシンプルなネイビーブルーのノースリーブのドレスに身を包み、ぐるりとひと回りまでしてみる。「よっしゃあ!」と、確認なのか気合いなのかわからない掛け声とともに部屋を飛び出して会場へと向かった。ご存知の通り、今年の日本の夏は異常なほど暑くただでさえすぐに汗をかく。これじゃあせっかくセットした髪もすぐふにゃふにゃになると思いながら、タクシーから東京の雑踏をボーっと見つめていた。
午後6時45分。予定よりも少し早く到着した私は、受付でもらったパンフレットを見ているふりをしながら、会場に来ている人々を横目でチェックする。パーティー会場は大きなシャンデリアがいくつもぶら下がっており、テーブルにはワイン・ウィスキー・オレンジジュースなどがきれいに並べてあった。白い上着を着た、まさに『給仕』という感じの人たちが銀のトレイに飲み物を満載しながら、こちらに向かってくる。「あ、その赤ワインください。」落ち着こう。取りあえず気付けにワインを飲みながら、あらためてまわりを見回してみる。・・・が、もちろん知っている人など誰もいない。私はこういったパーティーというものは実はあまり得意ではなく、いつもひとり自分が浮いているような気がしてならない。今夜、このパーティに招待をしてくれた人を探しに少し会場内をウロウロ歩いてみたが見つからない。
そんな中、私に声を掛けてくれたトノガタがいた。髪はやや長髪で作務衣に下駄という見るからに芸術家の風貌であった。しかし、そのトノガタ、タダモノではない。彼の紹介で『岡本太郎美術館』の館長、青山スパイラルガーデン(ここのギャラリーは立派)のマーケティング部長、美術ジャーナリスト、・・・と、次々にいろいろな方へ名刺を差し上げることができた。皆様名刺を見るやいなや、『アボリジナルアートコーディネーター』という私のタイトルにはじめは「ふん?」といった表情を見せるが、わりと真剣に話を聴いてくださる。反応は決して悪くなかった。・・・と思う。
私は現在フリーランスとしてアボリジナルアート日本進出に向けて展示会場を探している旨を熱く語り、今年は即売会も企画していること、11月にはアボリジニ女性アーティストも一緒に来日することを訴えた。きっと何か出来るにちがいない。
2杯目の赤ワインを飲み終えるころ、パーティーも終わりに近づき、私はあのタダモノではないトノガタに(結局最後まで彼がナニモノかは不明であった)丁重に挨拶をして会場をあとにした。
いただいた数々の名刺をもう一度ながめながら、『明日食うカネ、自分で作らにゃあ』と独立起業のキビシサ・ムズカシサをかみしめて自己奮起を新たにした東京での一夜であった。人生、常に『チャレンジ』である。だから面白い。