アボリジ二女性画家バーバラ・ウィア初の日本滞在記・愛と涙の2週間(後編)
アボリジ二の女性画家、バーバラとの日本滞在2週間。滞在も後半に入ってくるとお互い疲れも出てくる。慣れない環境と食事、チンプンカンプンの言語にバーバラの機嫌が日に日に悪くなっていくのをひしひしと感じた。ただ、始終朝から晩までコメツキバッタのように彼女と一緒にいて世話をする私も「ほぅりゃー!バーバラ・・・いい加減にせーよ!!」と怒鳴りたくなるのをグッとこらえて我慢すること数回。彼女は自分にアテンションが向けられないとすぐにヘソを曲げる。そして仮病まで使う困ったチャン。
これは東京でのある朝のこと。秋葉原の地下鉄ホームで私が他のスタッフと会話に夢中になっていた時に彼女はきっと自分がひとりぼっちにされたと思ったのか急に「吐き気がする。」といきなりホームにしゃがみ込んだ。周りの視線が一気に我々に注目する。「あ、またはじまっちゃったか。」と私は内心思いながらもダダッ子をなだめる口調で「あらあら、それは大変。すぐにトイレに行かなくちゃね。どう?大丈夫?トイレまで我慢できる?」と、世界一優しい顔を作り彼女の手を引いて駅構内の公衆便所に連れて行った。しかしだ!つい30分ほど前にみんなで朝食をとった時に「・・・私は普段砂漠ではあまり食べない小食だから。」と言いながらもパンを6つあっという間にぺロリンと平らげた彼女のそんな様子から「ただの食べすぎ心配なし。」と思わないわけがない。
しかし、一瞬たりとも彼女を疑った罰がいきなり私に襲い掛かってきた。そしてそこで誰もが信じがたい光景を私は目にすることに。そう言われてみれば本当に真っ青な顔をしていたバーバラは、トイレまでどうしても我慢出来ないと言いかけている時、駅の階段でとうとう・・・それはまるでゴジラが火を吹くかのように「ブツ」は見事に空中を舞って私のズボンの裾にくっついた。いったい私が何をした。なぜこんな目に遭わなければならないのか。と、泣きそうになりながら「ぎぃぃぃやぁぁぁ!!だ、だいじょうぶううう?ばああああーばらあ・・・」とあまりにも隠し切れない動揺に私も腰がふにゃふにゃになった。が、とにかく早く彼女を安静にさせなくちゃ・・。と、ひとまず駅を出て(もちろん駅員さんに頭を下げて謝ってから)秋葉原電気街の駅ビルのベンチで休むことに。明日はいよいよアボリジナルアート展覧会のオープニングセレモニーでいわき市に移動だというのに、こんなんで彼女は一体大丈夫なのかしら・・・などというこちらの不安を省みず彼女は出すもの出したらもうすっかり元気になり、すぐにあのキンキンキラキラの秋葉原電気街に興味を示した。
私は自分のお財布の中身をため息つきながら再確認して「いい?バーバラ。日本の電化製品はオーストラリアでは使えないんだからね。だから絶対!何も買えないんだからね。」とこれでもかとしつこく言い聞かせてお店に入った。だが、ここで彼女が大きく興味を示したものが何と電気アンマ機。”よおーっし!それじゃあ・・・ “と、私も面白がって彼女を座らせてスイッチオン。恐らく彼女はオーストラリアの先住民アボリジ二で日本の電気マッサージ機に挑戦した第一号であろう。その場にメディアがいなかったのが何とも残念であった。・・が、途端に彼女は飛び上がり「このマシン〔機械〕にはデビル〔悪魔〕がひそんでいる。だからもう絶対に触るな」と急に真剣な顔で私に怒ってきた。・・・・やれやれ・・・・・。
さて、バーバラとの滞在2週間が何もこんな珍道中ばかりではない。福島県いわき市立美術館では展覧会の開会式に合わせてアイヌ民族とバーバラの様々なイベントを企画してくださっていた。その中でも古布絵刺繍家で長い間いわき市にお住まいであったという宇梶静江さんとバーバラのトークショーには地方の新聞社・ラジオ局が会場に大勢詰めかけ、かなりの注目を集めた。私は二人の通訳として真ん中に座ることに。お互い先住民として生まれ育ってきた中でいわれなき差別を受けてきた歴史を持つ二人はこれまでもちろん一度も逢ったことがなかったにもかかわらず、会場で初めて逢うやいなや「SISTER!」と呼び合って熱く抱擁を交わしていたのがとても印象的であった。
アイヌ民族はかつては東北地方から北海道、サハリン〔樺太〕、千島列島に及ぶ広範囲に住んでいた日本の先住民族である。その北海道に大量の移住者が押し寄せた明治以来、日本政府はアイヌ民族に過酷な同化を強いてきて彼ら固有の言語や文化・生活習慣を否定してきたという。現在も昔ながらの生活をアイヌ民族に期待する人が多くいるが、当然アイヌ文化も他の文化と同様に時代とともに変わってきてるのであるから、言うまでもなく今後のアイヌ文化の行く末はアイヌ自らが決めるものなのだろう。
これまでの私自身の頭の中には、「アイヌ民族=北海道」という図式が当たり前のように出来ていて現在関東周辺にも約5000人近くのアイヌの方々が住んでいるという事実を初めて知って驚いた。また、彼らが受けた侵略の歴史や現状も全くと言っていいほど「知らない」ということについて考えさせられたことは言うまでもない。バーバラと宇梶さんはトークショーの間じゅう、「先住民が先住民であり続けるために、これからもプライドと誇りを持って力強く生きていきたい。大事な自分たちの文化をきちんと次の世代に伝承していくことが我々の役目」と声を揃えて言っていたのがまだ私の耳に強く残っている。
北海道、そして都内から駆けつけてくれたアイヌの仲間たちが民族衣装を美しくまとって私たちに披露してくれたカムイノミ(神への祈り)に私はアボリジニに文化に大きく通ずるアイヌの精神を見た。
そして『自分がどんなに厳しい生活をしていても訪ねてきた仲間に腹一杯食べさせる、それがアイヌ流さ。』そういっていた彼らの言葉が私は今でも忘れられない。