私がこんなにも、まるで一種の病気でもあるかのようにオーストラリアの中央砂漠に心惹かれて何度も何度もアボリジニ居住区へ足を運ぶのは何も私のアイドルたち、アボリジニのアーティストに逢うためだけではない。実はここでいつも大きな瞳をグルングルン回して砂漠外からやってくるストレンジャー(つまり、部外者のわたしたち)を待ち構えているアボリジニ・チビッコギャングたちと過ごす時間もこれまた私にとっては大きな楽しみ、そして貴重な収穫なのである。

砂漠で最も貴重な水では”身体を洗う”といった、そんな発想のまるでないアボリジニたちの体臭は独特のニオイがあり、髪の毛も汗とホコリでペットリとしている。子供たちは地べたにしゃがむ私の後ろに素早く回り、当たり前のように私の髪の中身を掻き分けるようにして調べる。え?何やってんの???するとその子供が不思議そうに私の顔を覗き込んでつぶやく。『何でオマエの頭には無いんだ?』と。そう、アボリジニ社会ではお互いの髪の中にいるシラミを除去することが日常のお勤めなのである。こりゃまいった。私は初めて目にする子供の頭の中にモゴモゴ動いているシラミと、その髪の隙間に点々と存在するシラミの卵の現実に言葉を失った。そしてその横で完全に目がイッちゃっている毛の抜けたヨボヨボの犬が私の手を舐めていたことにも驚きは隠せなかった。

「なんだ、オマエ・・・どっから来たんだ?」

「家族はいるのか?」

「ダンナは一緒か?」・・・(ふん、余計なお世話だぜ)

「オマエの鼻、変なカタチしてるなあ。」

「何か言葉、しゃべってみろ。」

などといつもいきなり彼らからの身の上調査から始まるアボリジニ村での滞在も、2-3日も一緒にいると途端に警戒心を無くして彼らはところかまわず私にまとわりつくようにアタックをしてくる。アボリジニの子供たちに”遠慮”はない。私の持ち物すべてに興味しんしんである。なんと言っても私のカバンの中にはデジタルカメラ・財布・化粧ポーチなど彼らの興味を注ぐものだらけであるのだから。勝手に手を突っ込んで取り出してはひとつひとつをもの珍しそうに私に質問してくるのだ。私の口紅を勝手に塗って興奮する女の子は全世界共通。ちょっとうれしくなる瞬間。「それ、あげるよ。」そう言うとはにかんでそうっと自分のポケットにしまい、走って母親のもとに行く彼女の名はナタリー。後に彼女は私の一番弟子となった。地べたに腰を下ろしてみんなとおしゃべり。・・・といっても誰もが英語を流暢に話すわけではないので彼らの言語を100%理解しない私はますます自分が違う星の下からやって来た『宇宙人』のような気分になる。が、チビッコギャングの中には居住区内にある小学校へ通っているせいか、英語がペラペラで私の通訳を快く引き受けてくれる世話好きの子供もいるので大助かり。一番弟子ナタリーもそのひとりであった。

砂漠で暮らすアボリジニの子供たちのエンターテイメントは何も無い。テレビも無ければパソコンでゲームをすることも知らない彼らに私は得意の空手を教えた。途端に村中で私はジャッキーチェンの妹ということに何故かなったがそれはそれでいいとそのままにしておいた。なにやらジャッキーチェンだけは時々行われるテレビ上映で放映されるので知っているらしい。何十メートルもの高いビルから飛び降りたり、空中回転をするジャッキーチェンはアボリジニたちのスーパースターなのだという。その妹の私も当然のごとくその日からはスーパースター。全く気分が良いではないか。

ただ、スーパースター・ジャッキーチェーンの妹となった私は出会う人ごとに「おんりゃぁ~」と、空手チョップの真似をしなければならなくなった。これも意外と大変だ。でも大喜びをする彼らに”カッコツケマン”である私はひたすら「おんりゃぁ~、おんりゃぁ~」を言い続けて目的地のスーパーまでたどり着く有様。それ以来、村中を散歩するたびに、7,8人のアボリジニの子供たちが私の後を付いてくるようになった。そして彼らから私はたくさんのことを教わった。その1つが『割礼』について。アボリジニの子供たちは生涯に幾度と無く成人儀礼を通過しなければならない。前歯を抜歯したり胸元に深い傷を付けたりしてその痛みに十分耐え忍ぶことが出来た者だけが立派な”大人”として認められるのだ。認められて見事”大人”となった少年・少女は今度はその部族間での大事な情報や秘密ごとを歌や踊りと共に年配者から教えられる。その儀礼の期間は長いもので3ヶ月、短いものでは数週間といった儀礼の用途に合わせて様々らしい。

そういえば、私が滞在したアボリジニ村での年配女性はみんな前歯がなかったなあ。聞くところによると、前歯がないのは女性を最も美しく見せる証だという。『オマエもどうだね』と、実は何度もオファーをいただいたことがあったが丁重にお断りをしたことをここにご報告しておこう。

「モノ」や「お金」が第一優先ではない彼らの社会にはもちろん学歴社会とか二酸化炭素問題などは全くの無関係。大きな瞳の中に私の姿をそのまま映し、こぼれんばかりの屈託の無い満弁の笑みをもたらすアボリジニの子供たちに、私が出来ることはいったい何だろう。そんなことをふと考えながらきっとまたふらりと彼らに逢いに私は砂漠へ出向くのであろう。そしてメルボルンの旅行代理店に格安の航空券を獲得するため今日も片っ端から電話する。

『すみません。アリススプリングスまで一枚お願いします。』

私の”アボリジニ熱”はまだまだ冷める気配をみせない。