小豆島物語・バーバラとの日本滞在記《前編》
瀬戸内海では淡路島に次いで面積が広い小豆島(しょうどしま)。そこは温暖な気候と豊かな自然に恵まれ、四季折々の彩りや雄大な渓谷をリゾート気分で満喫できる見所いっぱいの観光スポットとガイドブックに書かれてあった。その小豆島がオーストラリアのエアーズロックと『姉妹リゾート都市』なんてことを知っている人は数少ない。というかほとんどいない。
思い起こせば去る4月後半、オーストラリア政府観光局から電話があった。 8月に小豆島で“エアーズロックフェア”を開催するのでプロモーションのためにアボリジニ画家をひとり連れて来てはくれないか・・・・と。あまりにも簡単にそんなリクエストを出す政a府観光局。昨年の私の苦労をまるで理解していないようだ。
そう、昨年11月に私はひとりのアボリジニ女性画家を展覧会のために日本へ連れて行った経験があることを報告をしておいた。しかし、彼女が一円もお金を持ってこなかったことや、私の携帯から連日砂漠に住む家族に電話をかけ、後日それこそ目ン玉飛び出すほどの請求書が私に送られてきたことや、見るもの触るもの全て欲しがって、それらをものの見事に手に入れた・・そんなことは皆様は知るすべもない。
しかし、私の知る限りアボリジニ画家で英語が流暢で、パスポートを持っているのはバーバラ、彼女しかいない。そこで彼女に「日本へもう一度行きたい?」とちょっと様子うかがいで聞いてみたら、二つ返事で「もちろん行きたい。だって前回訪れた日本はそれはそれは素晴らしい思い出が沢山あるし、MAYUMIが始終私の面倒を見てくれたから、全くホームシックにかからなかったもの。だから今度も是非あなたと一緒に旅をしたいわ。」なんて彼女本人から言われ、八方美人でお調子者の私は直ぐに観光局にOKの電話を入れた。先方も大変喜んでくれていた・・・と思った。
さて、日本行きの準備が整って、出発を待つばかり・・・といった矢先にバーバラが急に体調を崩して入院してしまった。一気に日本行きが怪しくなる。主治医に事情を話し、4週間後の日本出発が可能か確認。それほど心配は要らないと言われ、ひとまず安心して様子を見ることにした。
今回のエアーズロックフェアで、バーバラは、小豆島の高級リゾートホテルにて絵画制作のデモンストレーションをすることを依頼されていた。私もホテルでの物品販売用にブーメランやアボリジニデザインの入った小物類をダンボール箱7箱分用意して出発を待ち望んでいた。
何といってもそこは海の美しいリゾート地。何やら『日本夕陽百選』にも選ばれたという、美しい夕陽を望む白亜のリゾートホテル。そこには素敵な“何か”が私を待っているに違いない・・・そうほのかな期待を込めて、2年前にハワイで買ったビキニをそうっとスーツケースにしのばせた。
思ったよりも回復が早かったバーバラだが、実は出発の2日前まで「日本には行きたくない。自分は病気だ。家族のもとを離れるのは怖い。日本で自分の身に何かあったらMAYUMIはアボリジニ達からそれこそとんでもない目に遭わされるはず。それでもいいのか。」と、しまいには私を脅す作戦に出てきた。「でもね。もう出発は2日後なの。お願い。一緒に日本に行って。現地ではもうあなたの到着をみんな心待ちにしているの。行けば大歓迎されるんだから。私、何でもするから。ね、ね、行こうよ。楽しいよ。万歳!ジャパーン!!」と私は少しでも彼女のテンションを上げようと面白い顔までして笑わそうとも試みたが全く効果なし。
そんな気乗りのしない彼女と日本での滞在20日間。何だかいやぁ~な予感がしないわけがない。案の定、出発の空港からご機嫌ななめで、機内でもブツブツ文句ばかり。疲れているんだろうと「バーバラ、私足をもんであげるよ。」と一時間ほど彼女の足を揉み続けた。爪も1センチほど伸びていたので切ってあげた。こんな事が後20日間も続くのかと想像しただけで、自分が病気になりそうな気がしたが、それも気合で乗り越えようと意気込んだ。なんたって、白亜のリゾートホテル。そこには素敵な“何か”が私を待っているのだから。
小豆島へは高松から高速船に乗ればわずか30分。この高速船は島内の人々の通勤の足となっているらしい。ところで砂漠で暮らすバーバラは果たして海を船で渡るという経験は・・・・案の定初めてだという。彼女はとても怖がって窓の外を一度も見ようとしなかった。しかし、夏オンナである私はデッキに上ってサンサンと輝く眩しい太陽に「こんにちは」と明るくご挨拶・・・何てことしてたらきっとアブナイ人だと思われるので、遥か遠くに見える、これから20日間もお世話になる小豆島を一生懸命自分の視界に入れていた。
さて、いよいよ高級リゾートホテルに到着。オーストラリアからはるばる有名なアボリジニ画家がその荷物持ちと一緒に到着したのだ。さぞ、盛大に歓迎をされるものだと思っていたら・・・誰も今日我々が到着するということを把握していない様子。会場も何もセッティングがされておらず、エアーズロックフェアと書かれた垂れ幕がかかっているだけであった。私はますますいやぁ~な予感がしてきた。
「私たちは何もわかりませんから・・どうしたらよいでしょう・・・」とホテル側の人々。彼らの無関心さに私は多少怒りすら覚えたが今更何を言っても始まらない。こっちもバーバラに始終怒られながらやっとの思いで日本に連れてきたんですからね。何かやりましょうよ。やって、お願いですから。何なら私が会場作ります。テーブル貸してください。彼女はそこでデモンストレーションを。いいですね。地元の新聞社に取材の連絡をしてください。細かいスケジュールはあとで相談しましょう。それからああでこうで・・と、ここでも仕切り屋ばばあとなったのである。
こうして、私とバーバラの『小豆島物語』がいよいよ始まった。一体どうなることだろう・・と私はそっとスーツケースに忍ばせてきたビキニを眺めながら独り大きなため息をついた。まだまだ続く小豆島物語。後編をどうぞお楽しみに。