私は昔から身体がデカかった。態度はそれほどデカくないと自負はしているが、声も普通の女性よりかなり低いので、あんまり女っぽく(←おしとやかにという意味だ)できないのが何を隠そう小さな悩みでもあった。しかし私はこれまで一度だけうっかり男子トイレに入ってしまったことを除けば、病院の受付などで男の人に間違えられたことはないし、ヌードショーの呼び込みに手招きされたこともないし、胸だって人並み(以上)にあると勝手に誤解しているので、自分では正真正銘「オンナまっしぐら!」だと確信していたのである。

ところがどっこい、先日親しくしているアボリジニの女性に「オマエは男だ」と断言された。それは全く不可解な理由からだった。彼女たちが私を男だと思ったわけ→それは私の乳がヘソまで垂れ下がってないからだというのだ。なんてことだ。乳の大小で彼女たちから性別判断をされたとは。この認識をしっかり調査して来年のオーストラリア学会で発表しなければならないぞ。とにかくアボリジニの女性たちの中では、間違いなくおっぱいの大きさが女性としての認知度の高さと比例しているということがわかった。

今更ジタバタしてもこれから私の胸が突然ヘソまで伸びるとはとても考えられない。こうなったら正々堂々とオレ様も男らしく正面から立ち向かおうではないか…。と意気込んだ矢先に名案が思い付いた。「そうだ。こうなったら私はまだ成熟しきっていない子供に成りすますのはどうだろう。胸はこれからみるみる大きくなるんだぞーーーー」。と覚えたてのアボリジニ語(ルリチャ語)でしっかりと意思表示をしてみようと思うがいかがだろう。

さて、ところでどうして今回こんなに『胸』にこだわった内容を書くかと申しますとね、実はとんでもなくスペシャルなアボリジニの儀式にこのオレ様が招待をされたからなのである。儀式では参加者全員が上半身スッポンポンとなり幾日も幾日も踊り唄い明かすことになるという。おまけにその儀式は一年に一度だけ行なわれるという特別なもので参加者は女性のみ。そう、だから『男』(だと思われている)オレ様は本来参加が認められないのであるが!!!…これから成長する子供であればなんとかなるだろうと安易にただそう思ったわけなのだ。

儀式のタイトルは「WOMEN’S MEETING」といって、豪州全土から総勢1500人余りのアボリジニの女性たちが一同にある一定の場所に集合をする。どんな人々が、何の目的で、何をするために集まるのかは私にはまだ明かされてはいない。

ただこの儀式に参加ができるのは部族の歌をきちんと歌いこなせ、伝統的な踊りを見事に披露出来る年輩者のアボリジニ女性に限られるという。今のご時世、若手はなかなか伝統を受け継ごうとしないと年輩者は口を揃えてぼやいていた。そこにこんな若輩の《何たって子供ですから。にひひひひ》オレ様が、しかもアボリジニ以外の人間としてこんな大それた儀式に参加ができるというこの興奮を一体どのように伝えたらよいものか。到底言葉や文字では表現しきれないということをどうかご理解いただきたい。

出発日は何と私の誕生日である。よりによって38回目の”めでたい”バースデーに砂漠入りをするとはこれも何かの”御縁”だと思わぬわけがない。38年も歳を重ねていながら子供になりすますこの図々しさも感心ものだと思っているが、それより何より何とイカしたバースデープレゼントではなかろうか。なかなかもらえないもんね。こういったプレゼントは。

そうだ…プレゼントといえば一つ忘れ難いものがあるのを思い出した。もう随分前のことであるが友人から(もちろんトノガタ)”誕生日に何が欲しい?”と聞かれたことがあり、根っから謙虚である私は”うーーん。そうねぇ…。大きな花束なんてもらってみたいわあ。あ、ううん…でも気にしないでね。別におねだりしているわけじゃないんだからーーん。うふっ”と慣れない女言葉でくねくね身体をねじ曲げてみたことがあったが、その友人は私の誕生日の当日にこれでもかというほどたくさんの”花のタネ”を贈ってくれたことがあった。ぶったまげた。

過日、儀式への参加前にアボリジナルアート展示会のためにアボリジニ村から年輩者が4人メルボルン入りしたので彼女たちに初めて参加をする儀式のことについてあれこれ尋ねてみたところ、持参するものは黒のロングスカートのみとのこと。へっ??? それだけ??? ほんと?

何やら上半身は皆ヘソまで垂れ下がる豊満な胸にペイントをするのでそれが洋服代わりとなり、あとはロングスカートを身に着けて(パンツは履いてはならないらしい)ひたすら唄って踊っているとのこと。

メルボルン入りした彼女たちから儀式用のダンスを少し習ったが、私の踊りを見てみな歯をむき出して抱腹絶倒。まいったな…。しかし「不安がることはないよ。あるがままに、そのままを受け止めればそれでいいのじゃ…」とそう言ってニヤリと笑うコリーンばあちゃんをとことん信じよう。

とにかく私は今、儀式への出発前の興奮でちっとも落ち着かない。これほど想像の全くできない未知なる体験にどきどきわくわくすることなんて(しつこいようだが)、38年間も生きた中ではあまり味わったことがなかったような気がする。

電気も電話もシャワーもまるでないブッシュの中でのアボリジニ達との儀式、遥か彼方の銀河を眺めながら大地に抱かれて眠る心地良さを思う存分味わって来ようと思う。