普段文明都市メルボルンで暮らす私は、朝起きたらまずは熱いシャワーを浴び、夕方外出なんてするときには更にまたシャワーを浴びる、こんな”水大好きオシャレ人間”が実質8日間もシャワーどころか歯を磨くことすら断念した。

それほど限られたわずかな水のみで暮らしたアボリジニとのブッシュキャンプは、まさに自分をヘナチョコ文明人と認知せざるを得ない、そんな過酷で厳しいものであった。

野宿生活では髪なんて当然洗えるわけがないので、頭皮がはじめの数日ばかりはかゆかったのだが、そのあとは何も感じなくなったし、毎日毎日朝から晩までこき使われて疲労困憊していたので、頭のかゆさなんてのは、もはやどうでもよくなっていった。

アボリジニ社会における”儀式”の重要性は、私自身これまでにもたくさんの関連書物で学んでいたので、最近通い慣れてずい分親しくなった砂漠のアボリジニ居住区でも、私のほうから”儀式に参加をしたいんだけど…”と安易に申し出ることはなかなかできなかった。 知識より実践を重んじ、ましてやフィールド調査を主とする私のアボリジニアート研究での”儀式”への参加は、それゆえとても大きな意味をもたらすものであることは確かだった。

そんなとき毎年1年に1度だけ行なわれるというアボリジニの女性の集会”Women’s Meeting”へ今回一緒に参加をしないかと声をかけられ、「え…っ。こんな部外者の私が…。いいの? ほんとにいいの? それならもちろん喜んで行っちゃうわよ」と二つ返事でOKサインを出した有頂天のん気野郎の私であったが、実は今回誘われたそのMeetingといわれるものが、一体どれだけ重要で大規模な儀式なのか、なんていう予備知識がその時点ではほとんどなかったといってよい。しかし、かえってそれが新鮮で、「あるがままを自然体で受け止める、それが大事」といういつもの行き当たりバッタリ出たとこ勝負! である自分の信念にはピッタリだなと、安易に旅の準備を始めることに。

アボリジニにとってのMeetingとは大抵”儀式”のことを指すのだが、その儀式も用途や地域によって、期間も様式も実に様々なものがあることは、事前勉強で心得ていた。許された者だけが、許された場所で世界存立の神秘の一部を知ることができるという、そんな神聖な儀式へ日本代表として参加を果たしたこのオレ様だったが、実はたった2日目にしてもう半死状態。

まずは儀式の会場まで片道1400㎞という気絶しそうなほどの長距離ドライブで、すでに呼吸困難に陥ったことはいうまでもない。おまけに当然といえば当然なのだが、その会場となった場所はアボリジニの聖地といわれるところ。電気も電話もシャワーもトイレも三面鏡もドライヤーも電子レンジも何もない、まさにブッシュのど真ん中。普段大抵のことでは滅多に驚かないこのオレ様も、さすがに目を疑いたくなるような光景を初日からいくつも目に焼き付けることに。

まず、1年に1度のこの大集会を心待ちにして、このたび豪州全土からはるばる集まった800~1000人はいたであろうアボリジニのおばちゃんたちが、みんなオレ様の目の前で中腰にかかんでおしっこをあっちでもこっちでもする光景には、慣れるまでそれなりに時間を要した。まあ、ここにはトイレがないわけだし、これは人間のとても自然な行為だと割り切ればよい、と自分に言い聞かせてはみたものの、このオレ様にとって用を足すのはプライバシー厳守のこと。駅で友人と一緒にトイレに入って隣同士だったりした際に、お互いの”音”を聞かれるのでさえ、ものすごく恥ずかしいっていうのに。それを至近距離1m以内で堂々とお尻をめくって”なさる”アボリジニの皆様の姿は勇敢だった。

それでも恥じらいを感じてか、皆様ウ○コは木陰までわざわざ足を運んで、人目をはばかりながら御用を足されていらしたのだが、そのうちの何人かが、草むらで用足しの最中にお尻をヘビにかまれて大慌てとなり(←これ、ホントの話)、緊急時のためにと用意されていた飛行機に乗せられ、儀式そっちのけで最寄りの病院まで運ばれて行っちゃったことだって、慣れてしまえばぜ~~んぜん何てこと……ないわけがない。

もしも日本人代表のオレ様が、同じようにお尻をヘビにガブリとかまれて病院送りされただなんてことになったらそれこそ笑い者だ。出発前に激励してくれた仲間たちから『ヘビにお尻かまれたんだって?』なんてニヤニヤされながら聞かれるのは、このうえなくみっともない。ましてやそのヘビが毒ヘビだったらそのまま息を引き取ってしまうかもしれないではないか。
そんな心配をしていたせいか滞在中、実に7日間もの間私は便秘で苦しむことになった。ブッシュキャンプというあまりの逆境のせいからか、ウ○コ様がちっとも顔を出そうとしてくれなかったのだ。

お腹は張るわ、髪はボサボサだわ、顔はホコリで真っ黒だわと、真剣に嫁入りはもう500%ぐらい諦めようと明るく決心した。歯も磨かないこんなオレ様とは、誰もチュウなんてしてくれっこないもんね。

日の入りが毎日午後5時半ぐらいだったので、それ以降はどこを見渡しても真っ暗闇。懐中電灯をおでこにタオルで縛り付け、キャンプファイヤーで火傷をしながらの夕食作りとなる。何故か食事当番は連日このオレ様だった。来る日も来る日も全く切れない包丁で、野菜をこれでもかというほど大量に刻んだ。普段、料理は我ながら得意だと自負するオレ様だが、それはちゃんと自分の好みの調味料が揃ったキッチンで、オーブンやコンロを使いこなしての話。それがアチチチチ……とぶ厚い軍手をはめた手で鍋の取っ手を持ち替えながら、キャンプの焚き火での調理は勝手がいま一つ……というか全然わからない。炭だらけ灰だらけとなって、アボリジニのおばちゃんたちから叱られながら、おまけに使える調味料が唯一「塩」だけだったため味付けまでさっぱり?!?! と始終途方に暮れる始末だった。

当初”ここからもう逃げ出したい”と本気でそう思っていたアボリジニのおばちゃんたちとのブッシュキャンプも、3日目・4日目・5日目になってくると、何となく元来の自分の『野生の勘』のようなものがみるみる冴えてきて不思議と楽しく感じられてきたのには驚きだった。

時間に追われることのない毎日というのは、なんという「解放感」だろうか。着ている洋服を一向に気にせずに思いっきり汚せるということが、こんなにも楽しいと思えたひととき。はるか昔の幼少の頃にいつの間にか戻ったような、そんな懐かしい感覚。普段”人の目”ばかりを気にして暮らす日々。それがとてもつまらないものに思えてくるだなんて。こんな非日常的な体験をするとき、多少戸惑いながらも、人はあれこれとまっすぐ自分のこころに向かって語りたくなるものだ。

儀式中は一切撮影禁止。ノートを取ることさえ許されず、儀式の内容を公に発表をすることもだめ。それゆえ私もここであれこれと儀式の全容を綴ることはお許しいただきたい。その代わりその儀式に少しでも関与できた日本代表の「心の変化」のようなものを今後お話していけたらと思う。

往復2800キロの大陸縦断ドライブで、実はメルボルンに戻った現在でも、今だ身体中があちこち痛いのだが、その痛みを感じる度に、またあのダイナミックな体験を確実に思い起こせる、そんな喜びもかみしめている。

人生、一生勉強ですな。