過日、我が家に突然迷い込んできたとんだ居候ちゃん、アボリジニの画家・ガブリエラとの共同生活もかれこれ2週間となる。好奇心旺盛なオレ様は、当初彼女が我が家でやること成すことすべてが(例えば水道出しっぱなしだったり、冷蔵庫を開けっ放しだったり)腹を立てながらも興味深くてたまらなかった。…… が、早くも限界が近づいてきた。

ホストママの心優しいオレ様としては彼女にできる限り心地良く滞在をしてもらおうと、始終あれこれと気を遣う。彼女のために一部屋用意してベッドも整えたのに「1人で個室に寝るのは怖い。この家の悪霊に取り付かれる」と毎夜リビングでソファーに寝るガブリエラ。なんだと。我が家に悪霊がいるというのか。失礼なヤツめ。悪霊ぐらい、いつだってこのオレ様が退治してやる。

リビングで寝る彼女を起こさないようにと私は毎朝まるで泥棒のように抜き足、差し足、忍び足でそうぅぅぅっと足音を立てないでキッチンへ行き、自分のコーヒーを入れる。とほほ。ここはオレ様の家なのになぁ。

そしてお昼近くまでゴジラのような大いびきをかいて寝ている彼女の寝顔を見ながら「そろそろ出てけー。早く出てけー」と何度も耳元で呪文を唱えるのであった。

ガブリエラの言う悪霊とは間違いなく私のことであろう。

前号でもお知らせをした通り彼女の食欲には目を見張る。一日5食。プロレスラー並みの見事な食べっぷりだ。田舎育ちのオレ様ゆえ、幼い頃から両親に「訪ねてきたお客さんには腹いっぱいメシを食わせろ。腹を空かせたまま客を帰らせるほどみっともないことはない」と言われ続けてきたもんだから、毎日ありったけの食材を惜しみなくガブリエラに提供した。

また「クンガ(←何故か彼女は私をこう呼ぶ。アボリジニのルリチャ語族では”オンナ”という意味)の手料理は世界一」なんていうウソ丸出しの彼女のセリフについつい調子に乗せられるオレ様は、普段ひとりでいればインスタントラーメンで簡単に済ませちゃうお昼ご飯も『腹をいつも限りなく空かせたお客さん』のためにせっせせっせと特製カレーなんて作っちゃったりするのである。

「クンガは料理上手なんだってね」……ある晩そう言ってガブリエラの叔母さんにあたるという風船のように身体の丸いハービーと、従兄弟だと名乗るちょっと色男のデイビットが突然我が家へやってきた。もちろん夕飯を食べにだ。

私自身、彼らを招いた記憶は一切ないので、恐らくガブリエラが「この家では腹いっぱいメシが食える」と吹聴したに違いない。とほほ。明日はいったい何人がやってくるのだろうか。そういえば私が以前アボリジニ村へ訪問をしたときに、仲良くなってもらいたいからと、初日村の子供たち2~3人にスーパーでアイスクリームやポテトチップスを買ってあげたことがあったのだが、翌日にはその子供たちの数が7~8人に増え、またその翌日に今度はおばさんやおじさんまでが一緒に並んで私を待っていたという経験があったのを想い出した。どうやら最初に買ってあげた子供たちが「あのジャパニーズは何でも買ってくれる」と村の仲間たちに言い回ったらしい。なるほど。納得。

そんなわけで3人のアボリジニ達と1人の日本人とで予期せぬ晩餐会となったその晩、私は彼女たちのリクエストに答えてチキンの唐揚げをこれでもかというほど作った。こんなこともあろうかと先日マーケットでチキンを1キロ買っておいてよかったと胸を撫で下ろしていたところ「ライスとサラダもお願いね」とビールをラッパ飲みしながらガブリエラが言う。おめー! 調子に乗るなよな。と、すかさずおっかない顔をしてみたが、ちょっと色男のデイビットがチラリとこちらを見たので無理やりすぐ前歯をニィィィィっと見せて、そのまま上手に笑顔に変えた。

お酒の勢いもあってか色男デイビットが自分の身の上話を初対面の私にポツリ、ポツリとし始めた。それはとても興味深い話であった。彼は今年で44歳になるらしいのだが(砂漠の奥地に出産のための穴を掘ったその中で生まれたので、自分の正確な生年月日を把握していないという。ちなみに現在アボリジニの出産はほとんどが街の病院で行われるので、それぞれ出生届が出されている)。7歳のときに自分の母親のもとから無理やり引き離され、そのまま白人社会で育ったという。そう、彼はまさしくこのオーストラリア政府がつい30年前まで打ち出していた同化政策の対象者の1人であったのである。 

それは「盗まれた世代―ストールンジェネレーション」として、今現在においてもアボリジニ達が政府に謝罪を求めているのだが、デイビットは「もうそんなことはどうでもいいんだよ」と言ってまっすぐに笑う。当時7歳の子供がいきなり誰も知らない社会へ連れて行かれ、英語がまったくわからず、白人の食べるこれまで自分が見たこともない食事が口に合わず(そのとき生まれて初めて牛乳を飲んだという)、毎日母親のもとに帰りたいと泣き叫んでいたその彼が「もうあんなことは二度とあってはならない。これからはお互いが学びあって一緒に暮らしていけばいい。そのほうがずっといい」そういって笑っているのである。

しかしライフルを構える当時の白人の格好を真似しながら「やつらは犬でも撃つかのように、俺たちの家族をたくさん撃ち殺していったことは決して忘れないけどね」と鋭い目でそうつぶやいたデイビットの言葉は、今でも私の耳を離れない。

世界で最も水の乏しいオーストラリア大陸の砂漠地帯、荒涼としたブッシュへ今でも時々デイビットは自ら足を運ぶという。我が家の地図を指差しながら彼は「ここが僕の生まれた土地。生命(いのち)あふれる豊饒な大地なんだ」と自慢気に教えてくれた。

あの広大な土地をくまなく熟知し、今でも神話界をリアルに生きるデイビットにとって、そこは紛れもなく豊かな大地なのだろうということが、私は心から納得できた。

……こうして突然我が家で開催された予期せぬ晩餐会は明け方まで延々と続けられ、私は翌朝ひどい二日酔いと山のように積み重なった汚れた食器の数々を見て、再び寝込んだことは言うまでもない。