砂漠の儀式へ、日本人代表の再出場
5月中旬、日本出張を終えて数週間ぶりに豪州大陸に到着。日本を発っておよそ10時間、メルボルン空港に降り立った瞬間、いつもほっとした気分になるのはどういうわけだろうか。広い大きな空を見上げて「ああ、帰ってきたなあ」とつぶやきながら空港から乗り込んだタクシーの中で、留守中携帯電話にたまったメッセージをまずは確認。「お預かりしている伝言は53件です」とオペレーター。いつもよりも数段多いメッセージの件数にハテナ?と思いながらも一つ一つ確認していくと、そのうちの30件は同一人物からの伝言だった。
「モッシモシー。マーユーミー。どこにいるの? 砂漠のグラニスよー。連絡待ってるわー。ガチャン」。「ハッロー。まゆみー。まだ帰って来てないのー?もしかして結婚でもして、今ハネムーンにでも行っちゃってるのー? ガチャン」。 「コンニチハー。マユミ。どこほっつき歩いているのー。早く連絡くれって言ってんだろーが!ガチャン」。と段々メッセージも声荒げになるのだが、なぜかどれ一つとっても肝心の用件が入っていない。
人の留守電に30件も伝言を入れておきながら用件を何も言わない砂漠のグラニスおばちゃん。いかにも彼女らしい。すぐに折り返し砂漠のアボリジニ居住区で働いている彼女の所へ電話を入れてみた。
ノーザンテリトリー州との時差はおよそ30分。電話するにはまだ少し早い時間かなとは思いながらも、30件のメッセージの内容をいち早く突き止めたいことからかまわずダイアルを回した。
「あ?もしもし、おはよう。グラニス。マユミだよ、メルボルンの。今日ね、たった今日本から帰ってきたんだけどあんなにたくさんのメッセージ、一体どうしたの?何かあったの?」開口一番そう尋ねると、グラニスはとてもエキサイティングした声で「おーまいがー!まゆみ。よかったわ。あなたがやっとつかまって。実は一年に一度のアボリジニの女性儀礼が今年も行われるのよ。ほら。去年アンタも参加したやつ。そうそう。あれあれ。いやー。うちの居住区のオンナ長老達がね。あのジャパニーズを今年もぜひ呼べってうるさいのよ。毎日電話しろしろって私の顔見てそういうからね。それで何度もアンタに連絡を取っていたってわけ。どう?今年も来れる?」と一気に捲くし立てる彼女。 「うっわー。私また行ってもいいのー?去年その儀式は確か6月だったよね。で? 今年はいつからなの?」。「今週の土曜日」。「え? は? ふ?土曜日って今日はもう水曜日じゃない」。「そう。あと3日後よ。で? 来れるの?来れないの?」。アボリジニ達と長く暮らすグラニスの時間概念はもはや尋常じゃない。「ちょ、ちょっと待ってよ。私ね。たった今東京から戻ってきたばかりなの。まだ家にもたどり着いてないのよ。今回は留守も長かったから溜まってる仕事もたくさんあるし、それにええ・・・と。ああーーん。とにかく少し時間をちょうだいよ。また後で電話するわ。それじゃあね」と、一応電話は切ってはみるが、本当のところ私には迷う理由は何もなかった。
アボリジニ社会における儀式の重要性は以前にも何度かお話をした記憶があるが、こればかりはいくら親しくなっても自分から儀式に参加をしたいなどと安易に申し出はできない。だからこそ一年に一度しか行われないそんな神聖な場所へ長老自らじきじきに『来い』とお声をかけてもらえたのは、この上なく名誉なことだと自負した。だってそこは日常生活から切り離されたもうひとつのアボリジニの世界があるのだから。
儀式の多くは男女がそれぞれ別々に行い、お互い相手の儀式の内容を知ることも見ることも許されない。だから私は男性の儀式を全く知らない。
昨年は儀式が行われている間中、ブッシュの山奥でトイレの最中に万が一毒ヘビにお尻をがぶりとやられたらどうしようという恐怖から、8日間もウ○コ様がお顔を出さず、ずっと便秘で苦しんだことや毎日使う水がとても足りなくて歯が3日に一度しか磨けなかったことや写真撮影が一切禁止であるのを知らずにカメラを取り出した私を「そんなことをしたらオマエを皆の前で全裸で踊らせる」と長老がマジでおっかない目でにらんだ恐怖なんて、一年も経てばすぐに忘れちまうもんだ。
さあ!今年も”日本代表”として堂々と行って来ようではないか。念のため昨年の日記をもう一度見直して準備に取り掛かろう・・・そう思ってノートを開いたところ、何と最初の3日間しか日記はきちんと書かれていない。あとのページはフニャフニャな文字で意味も不明。おまけに英語と日本語とアボリジニ語が全部ごちゃ混ぜだから、これを解読するのは至難の業。そうだった、そうだった!みるみる昨年の記憶が蘇ってきたが後半は極度の疲労でペンを走らせる気力が少しも残っていなかったんだっけ。それに夜中あまりに寒くて気管支炎にもかかったんだ。そうだ。目にバイキンが入って結膜炎にもなったぞ。薬は必需品だ。頭はどうせ洗えないけどシャンプー、一応持っていくとするか・・・。これってとても嫁入り前の上品なオレ様の発言とは思えないであろうが、このときばかりは嫁に行くより砂漠のど真ん中でアボリジニのおばちゃんたちと野宿しながら世界存立のアボリジニストーリーを学ぶことのほうが数段も魅力的に思えたのだ。・・・そう、行くまでは確かにね。
今年のメンバーは総勢11名。私が同行する仲間たちだ(もちろん現地には豪州全土から数百人が集まる)。昨年とは若干顔ぶれが異なるが、アボリジニ同士であってもこの儀式に参加をするのは大変な名誉なことであり誰もが行けるわけではないという。
日本人代表のオレ様は2名のおばちゃんの世話係を早速命じられた。一人はルビーおばちゃん、パーキンソン病を患っていて歩行困難。もう一人はクマンジャイおばちゃん。全盲のために常に介助が必要。こうした障害を抱えた彼女たちだが今回のこの儀礼に誰よりも参加をしたいという熱意は強い。
2台の4駆に大きなスワッグ(キャンバス地でできた寝袋。キャンプには欠かせない)をパンパンに積んで《←もちろんオレ様の仕事。爪が割れてあー痛い。泣いた泣いた。》さあいざ出発!
儀式を通して与えられる知識はアボリジニにとって世界の起源にかかわる重大な情報である。そのためそう簡単に不特定多数に開示するわけにはいかないが、日本人代表がそこで体験した非日常的なストーリーを次号で少しお話してみよう。お楽しみに。にひひ・・・。
追伸:余談になるが先日、日本の”ぴあ”から出ている女性誌「Colorful カラフル」の取材を受けたものが8月7日に発売されるようだ。機会があれば、ぜひご一読を。