夏真っ盛り、8月の大阪。気温は連日35度以上。アル中一歩手前のオレ様は、朝から冷蔵庫の中の冷たいビールについつい手が伸びてしまう自分を厳重に戒める。

湿度だって半端じゃないもの。一歩外に出たものなら途端に背中は汗でびっしょり。朝、念入りにドライヤーでセットした髪も、あっという間にふにゃふにゃさ。

そんな猛暑の大阪へ、オレ様はオーストラリアの中央砂漠から二人の女性画家を来日させることになった。主催者である読売テレビが、夏休み家族向けイベントでアボリジニアート展を企画開催したことが主な理由である。

まだまだ日本では馴染みのない豪州先住民の絵画を現地からはるばるやってきたアボリジニ画家達に、会場で実際に実演をしてもらうというのがねらいらしい。ついでにオレ様のいつものインチキトークをじゃんじゃか披露すりゃあ、来場者はもうイチコロに決まってるさ。にひひひひ。

それに今回はテレビ局の主催なんだから、きっとメディアへの露出だってあるとにらんだ。うーーん。見事に輝いているこの目の下のクマ、どうやって消し殺そうか。来るとき空港の免税店で買ったシワ取りクリーム、高かった割にはあまり効果が出ていないが、まあ何もしないよりはいいだろう。

普段は男だか女だかわからない中性のようなオレ様だが、やはり40歳も過ぎると気になるところは大変気になるというのが、紛れもない現実であることをご理解いただきたいものだ。

さて、いよいよここから『愛と涙の大阪物語・その1』をご披露するわけなのだが滞在日数7日間、毎日毎日あれこれとドラマの連続だったのでわかりやすいように日記形式でその内容をお知らせしていこう。

8月1日 《火曜日》

今回めでたく初来日となるアボリジニの若手女性画家・モリーンとノーマ。同行してくる現地アートコーディネーターのグラニスおばちゃんは2度目の来日となる。

前回は3年前、東京で行われた展覧会への出席だった。出発前にファックスで送っておいたすべてのニッポン滞在情報をうっかり忘れてきたことから、成田空港の税関でまんまと足止めをくらい、入国まで2時間半もかかった記憶はまだ新しい。

何やらそのとき連れてきたアボリジニの女性画家二人とともに別室に連れて行かれて、ひたすら質問攻めに合ったというではないか。挙句の果てには身体検査までやられ、カバンの中味も全部チェック。

おめーら! うそだろーーー! と絶叫したくなるような数々のブツが、彼女達のカバンの中から次々と出てきたことはいうまでもない。そんなことを何も知らずに、オレ様は空港出口で2時間半も今か今かと彼らの到着を待ち焦がれていたのであった。

普段彼らが生活をしている砂漠=ブッシュには、実に2000種類にも及ぶ草花が生息している。中には効果抜群の薬草であったり、貴重な食物だったり…。そして中には口に入れると、たちまちクラクラーーーッと後頭部の奥から気持ちよおおおくなる怪しい葉っぱだったり。

そのとき彼女たちが一体何を持ち込んで来たのかここでは公表できかねるが、やがて真っ青な顔をして3人がやっと到着出口に現れたときのオレ様の安堵感は言葉には表せないほど大きなものだった。

そんな苦い経験もあることから「果たして今度は大丈夫だろうか」と心臓バクバクさせながら、関西空港の到着ロビーで待ちわびるオレ様。テレビカメラチームも一緒だった。彼女たちの感動的な初来日到着シーンをぜひとも撮影したい、というので同行していただいた。

“ゆうべ、シワ取りクリームたっぷり塗っておいたからアップでもOKですよ”と小声でディレクターにささやいてみたが、そんなのまるで聞いちゃいないといった素振りで、大変明るく無視された。

さて、空港の掲示板に到着を知らせるランプを確認して”いよいよだな”と緊張しながら出口の一番前に陣取って待ち構えていたオレ様。テレビカメラもスタンバイOKだ。そんな様子を見ていた到着口付近のお客様からは「今日はどんな芸能人が来るの?」と何度も問われたもんだった。

「ふふふ…。奥さぁぁぁん。それは来てからのお楽しみですよ」ともったいぶって返答していたら、そのうちどこからか聞き慣れた声がするではないか!!!

「モシモシ~! モシモシ~! ひれをウフbフソエイウンモビrモイウアウオpr!ぱりゃ」とアボリジニの言語、ルリチャ語で交わされている言葉が確実に耳に入ってきた。

そう。遠路はるばる6000kmの距離を経たアボリジニ村から御一行様のご到着である。今回は飛行機が着いてから30分もしないうちに到着出口に姿を現してくれたのだった。

「いらっしゃーーい! いらっしゃーーーい!! よく来た。よく来た。疲れたでしょう? フライトはどうだった?」。なんて興奮冷めやらぬ状態で、彼女たち一人ひとりと熱い抱擁を交わす。

そのときはテレビカメラの横顔アップなんて、もうどうでもいいと思った。ちなみにあとでテレビ放映された映像を見たら…案の定、オレ様のたくましい後ろ姿しか写っちゃいなかったしね。

我々は空港からすぐにホテルへ直行した。まだいくらか緊張が解けきっていないモリーンとノーマ。機内でもほとんど眠れなかったという。

「ここは本当にジャパンか?」といきなりノーマが不安げに問いかけてきた。そりゃそうだ。何たって初めての飛行機、初めて見る外の景色、まわりはみんなアジア人の顔をした人間ばかり。自分はいったいどこに連れて来られちゃったんだろう?ちゃんと家には帰れるんだろうか。そんな彼女の不安は尽きない。

ホテルへ到着。

我々には最上階の和室が用意されていた。畳10畳分のひと部屋に今日から1週間、我々4人の共同生活がスタートする。プライバシーなんてまるであったもんじゃない。

まずはモリーンにシャワーの使い方を教える。日本式のお風呂なんてもちろん初体験。オレ様は4人みんなで1週間使えるようにとファミリーサイズのシャンプー(1リットルボトル)を用意しておいたが、が、モリーンがお風呂から出たときには、そのボトルは空っぽになっていた。

どうやら彼女はそれが1回分だったと思ったらしい。とほほ…、先が思いやられるぜ。

普段、砂漠の居住区で暮らすアボリジニの人たちは家の中を片付けるとか整理整頓なんていう概念はまるでない。(そういうオレ様も人のことはいえないが)いやはや、本来「家」というコンセプトが、アボリジニと我々では全く違うのであるから仕方がないのではないか。

何たって5万年もの太古からオーストラリアの大地と見事に調和しながら共生してきた彼らの深遠なる”狩猟採集”というライフスタイルを考えると、現在我々が生活をしている屋根のついた壁やドアがある「家」は彼らにとってはただの物入れ同然。だから冷蔵庫に平気で靴をしまったりしているし、たまにドアも叩き壊されて焚き火になっているところも目にする。

しかし、ここは大阪のホテルの中。部屋で焚き火をされては困る。土足も厳禁だと注意を促す。トイレは1回1回流すように。ゴミはきちんとゴミ箱へ…と何度いっても瞬く間に部屋はゴミの山。食べたカスをあっちへポーーン、こっちへポーン。

オレ様はそのたびに腰を曲げながらせっせせっせとゴミ拾いに明け暮れる。今日がまだ到着1日目だと考えただけで一気に血圧が上がったような気がした。

さぁさぁ、それでもまだまだ続く「愛と涙の大阪物語」。次号もどうぞお楽しみに。愛と涙の大阪物語 その1
Updated: 2006/10/10
夏真っ盛り、8月の大阪。気温は連日35度以上。アル中一歩手前のオレ様は、朝から冷蔵庫の中の冷たいビールについつい手が伸びてしまう自分を厳重に戒める。

湿度だって半端じゃないもの。一歩外に出たものなら途端に背中は汗でびっしょり。朝、念入りにドライヤーでセットした髪も、あっという間にふにゃふにゃさ。

そんな猛暑の大阪へ、オレ様はオーストラリアの中央砂漠から二人の女性画家を来日させることになった。主催者である読売テレビが、夏休み家族向けイベントでアボリジニアート展を企画開催したことが主な理由である。

まだまだ日本では馴染みのない豪州先住民の絵画を現地からはるばるやってきたアボリジニ画家達に、会場で実際に実演をしてもらうというのがねらいらしい。ついでにオレ様のいつものインチキトークをじゃんじゃか披露すりゃあ、来場者はもうイチコロに決まってるさ。にひひひひ。

それに今回はテレビ局の主催なんだから、きっとメディアへの露出だってあるとにらんだ。うーーん。見事に輝いているこの目の下のクマ、どうやって消し殺そうか。来るとき空港の免税店で買ったシワ取りクリーム、高かった割にはあまり効果が出ていないが、まあ何もしないよりはいいだろう。

普段は男だか女だかわからない中性のようなオレ様だが、やはり40歳も過ぎると気になるところは大変気になるというのが、紛れもない現実であることをご理解いただきたいものだ。

さて、いよいよここから『愛と涙の大阪物語・その1』をご披露するわけなのだが滞在日数7日間、毎日毎日あれこれとドラマの連続だったのでわかりやすいように日記形式でその内容をお知らせしていこう。

8月1日 《火曜日》

今回めでたく初来日となるアボリジニの若手女性画家・モリーンとノーマ。同行してくる現地アートコーディネーターのグラニスおばちゃんは2度目の来日となる。

前回は3年前、東京で行われた展覧会への出席だった。出発前にファックスで送っておいたすべてのニッポン滞在情報をうっかり忘れてきたことから、成田空港の税関でまんまと足止めをくらい、入国まで2時間半もかかった記憶はまだ新しい。

何やらそのとき連れてきたアボリジニの女性画家二人とともに別室に連れて行かれて、ひたすら質問攻めに合ったというではないか。挙句の果てには身体検査までやられ、カバンの中味も全部チェック。

おめーら! うそだろーーー! と絶叫したくなるような数々のブツが、彼女達のカバンの中から次々と出てきたことはいうまでもない。そんなことを何も知らずに、オレ様は空港出口で2時間半も今か今かと彼らの到着を待ち焦がれていたのであった。

普段彼らが生活をしている砂漠=ブッシュには、実に2000種類にも及ぶ草花が生息している。中には効果抜群の薬草であったり、貴重な食物だったり…。そして中には口に入れると、たちまちクラクラーーーッと後頭部の奥から気持ちよおおおくなる怪しい葉っぱだったり。

そのとき彼女たちが一体何を持ち込んで来たのかここでは公表できかねるが、やがて真っ青な顔をして3人がやっと到着出口に現れたときのオレ様の安堵感は言葉には表せないほど大きなものだった。

そんな苦い経験もあることから「果たして今度は大丈夫だろうか」と心臓バクバクさせながら、関西空港の到着ロビーで待ちわびるオレ様。テレビカメラチームも一緒だった。彼女たちの感動的な初来日到着シーンをぜひとも撮影したい、というので同行していただいた。

“ゆうべ、シワ取りクリームたっぷり塗っておいたからアップでもOKですよ”と小声でディレクターにささやいてみたが、そんなのまるで聞いちゃいないといった素振りで、大変明るく無視された。

さて、空港の掲示板に到着を知らせるランプを確認して”いよいよだな”と緊張しながら出口の一番前に陣取って待ち構えていたオレ様。テレビカメラもスタンバイOKだ。そんな様子を見ていた到着口付近のお客様からは「今日はどんな芸能人が来るの?」と何度も問われたもんだった。

「ふふふ…。奥さぁぁぁん。それは来てからのお楽しみですよ」ともったいぶって返答していたら、そのうちどこからか聞き慣れた声がするではないか!!!

「モシモシ~! モシモシ~! ひれをウフbフソエイウンモビrモイウアウオpr!ぱりゃ」とアボリジニの言語、ルリチャ語で交わされている言葉が確実に耳に入ってきた。

そう。遠路はるばる6000kmの距離を経たアボリジニ村から御一行様のご到着である。今回は飛行機が着いてから30分もしないうちに到着出口に姿を現してくれたのだった。

「いらっしゃーーい! いらっしゃーーーい!! よく来た。よく来た。疲れたでしょう? フライトはどうだった?」。なんて興奮冷めやらぬ状態で、彼女たち一人ひとりと熱い抱擁を交わす。

そのときはテレビカメラの横顔アップなんて、もうどうでもいいと思った。ちなみにあとでテレビ放映された映像を見たら…案の定、オレ様のたくましい後ろ姿しか写っちゃいなかったしね。

我々は空港からすぐにホテルへ直行した。まだいくらか緊張が解けきっていないモリーンとノーマ。機内でもほとんど眠れなかったという。

「ここは本当にジャパンか?」といきなりノーマが不安げに問いかけてきた。そりゃそうだ。何たって初めての飛行機、初めて見る外の景色、まわりはみんなアジア人の顔をした人間ばかり。自分はいったいどこに連れて来られちゃったんだろう?ちゃんと家には帰れるんだろうか。そんな彼女の不安は尽きない。

ホテルへ到着。

我々には最上階の和室が用意されていた。畳10畳分のひと部屋に今日から1週間、我々4人の共同生活がスタートする。プライバシーなんてまるであったもんじゃない。

まずはモリーンにシャワーの使い方を教える。日本式のお風呂なんてもちろん初体験。オレ様は4人みんなで1週間使えるようにとファミリーサイズのシャンプー(1リットルボトル)を用意しておいたが、が、モリーンがお風呂から出たときには、そのボトルは空っぽになっていた。

どうやら彼女はそれが1回分だったと思ったらしい。とほほ…、先が思いやられるぜ。

普段、砂漠の居住区で暮らすアボリジニの人たちは家の中を片付けるとか整理整頓なんていう概念はまるでない。(そういうオレ様も人のことはいえないが)いやはや、本来「家」というコンセプトが、アボリジニと我々では全く違うのであるから仕方がないのではないか。

何たって5万年もの太古からオーストラリアの大地と見事に調和しながら共生してきた彼らの深遠なる”狩猟採集”というライフスタイルを考えると、現在我々が生活をしている屋根のついた壁やドアがある「家」は彼らにとってはただの物入れ同然。だから冷蔵庫に平気で靴をしまったりしているし、たまにドアも叩き壊されて焚き火になっているところも目にする。

しかし、ここは大阪のホテルの中。部屋で焚き火をされては困る。土足も厳禁だと注意を促す。トイレは1回1回流すように。ゴミはきちんとゴミ箱へ…と何度いっても瞬く間に部屋はゴミの山。食べたカスをあっちへポーーン、こっちへポーン。

オレ様はそのたびに腰を曲げながらせっせせっせとゴミ拾いに明け暮れる。今日がまだ到着1日目だと考えただけで一気に血圧が上がったような気がした。

さぁさぁ、それでもまだまだ続く「愛と涙の大阪物語」。次号もどうぞお楽しみに。